ねずみのすもう

精神科医のねずみ

菜の花や

菜の花や、月は東に日は西に。春は菜の花、秋には桔梗。さみしいときは僕の好きな菜の花畑で泣いてくれ。葉の花畑に入日うすれ。春の季語として桜もいいがわたしは菜の花を推したい。わたしの勝手な感想にすぎないが、桜は狂気に通ずる。満開の桜を見に行くと、美しいことは美しいが、遠目に映る、あのみっちりした生命の横溢さ加減にはなにか不健全なものを感じる。食事中の方がいたら申し訳ないが、一瞬ウジがみっしりたかっている光景に見紛う。桜の木の下には屍体が埋まっていると評した梶井基次郎の慧眼を想うべし。その点、菜の花はまだ安心して見ていられる気がする。桜が狂気の美しさなら菜の花は涅槃の美しさだ。吸い込まれるような空の青さが背景だといい。菜の花の畑がそのまま海に続いているとなおいい。死んだら、あの化け物みたいな桜の木の下に埋められて養分として吸い上げられるよりは、菜の花畑にひっそり散骨されたい。

医学をえらんだ君に問う。

医学生へ 医学を選んだ君に問う 

医師を目指す君にまず問う。高校時代にどの教科が好きだったか?物理学に魅せられたかもしれない、英語が得意だったかもしれない。わたしは世界史でした。しかし医学が好きだったことはあり得ない。日本国中で医学を教える高校はないからだ。そりゃそうだ。当たり前のことをいちいち言わんでよろしい。

高校時代に物理学または英語が大好きだったら、なぜ理学部物理学科や文学部英文学科に進学しなかったのか?物理学に魅せられたのなら、物理学科での授業は面白いに違いない。とはいえ、理3入れる頭があるなら理3入った方がなんかドやれるよね。受験オリンピックのメダルが欲しいというのは気構えとしては全く非難されるべきではない。

君自身が医学を好むか嫌いかを度外視して、医学を専攻した事実を受容せねならない。結論を急ぐ。

授業が面白くなければ「代返」という制度がある。医学部の授業というのは、ややもすればやる気ない教官が、ビッシリ文字で埋まった読ませる気ゼロのスライドを延々読み上げる授業だが、定員100名の医学部で出席者が明らかに10人(全員女子)なのに「出席表によると」全員出席、という爆笑の場面が生まれたりする。これをやらかしたところ、防衛医大からわざわざ招聘した2年次の「医学英語」の教官は弊学を辞めてしまわれました。医学が君にとって面白いか否か全くわからないのに、別の理由(動機)で医学を選んだのは君自身の責任なのかもしれないが、こうした裏技がないこともない。てか今代返とかってできるの?

次に君に問う。人前で堂々と医学を選んだ理由を言えるか?万一「将来、経済的社会的に恵まれそう」以外の本音の理由が想定できないなら、君はダンテの「神曲」を読破せねばならない。しかも山川丙三郎訳・全編文語の岩波版で。

地獄編33曲のウゴリーノ伯が塔に押し込められて一族もろとも餓死する描写の凄惨さは3日間抑うつを呈すること請け合いである。ちなみにダンテ自身、政争にやぶれてフィレンツェを追われた過去があり、自分を冷遇した政治家が地獄に落ちて苦しんでいるシーンをわざわざ書いていたりする。陰鬱なやつだ。現代に生まれたら絶対ツイッタラーになっていただろう。煉獄編は全く話が進まず苦行になるが、マンフレディの悔恨および中世ヨーロッパ最大の奸雄シャルル・ダンジューの事跡、ドイツ大空位時代がイタリア政治史にもたらした衝撃を学びたまえ。最後に、ダンテが終生愛の歌をささげた女性ベアトリーチェであるが、「神曲」発表当時すでに夭折しており、じつはダンテとは二回くらいしか面識がないらしい。完全にストーカーでした。イタリアルネサンスの巨匠といえば、ペトラルカにも同様の逸話がある。ちなみに世界史でも選択しない限り入試科目とは関係ないため、こんなの読まなくても1ミリも問題ありません。

さらに問う。奉仕と犠牲の精神はあるか?重症患者のための連夜の泊まり込み、急患のため休日の予定の突然の取り消しなど日常茶飯事だ。死に至る病に泣く患者の心に君は添えるか?ちなみに僕はちょっと無理でした。

わたしのような医師になりたくないなら、「よく学び、よく遊び」は許されない。医学生は「よく学び、よく学び」しかないと覚悟せねばならない。あ、ただ学生のうちにそこそこ恋愛はしといたほうがいいよ。でないといずれ婚活沼にハマるか、ヤバいのに引っ掛かって職場に凸られたりする。友人から聞きました。

医師国家試験の不合格者はどの医学校にもいる。全員が合格してもおかしくない医師国家試験に1,2割が落ちるのは、やはり医学部の授業が国試向きでないからだろう。教授の趣味みたいなことやってんだから当然である。むしろあんなカリキュラムで大半の医学生が国家試験に通る事実に瞠目すべきだろう。医師には知らざるは許されない。いまどき仕事中に割り込み電話をしてくる謎の不動産勧誘に乗る人は最早いないと思うが、人生の真の禁忌肢は結婚に現れる。ことに半端に高給取りな医師が将来離婚となった場合の婚費諸々の恐ろしさは、恋愛工学などでお馴染み・藤沢和希の「損する結婚・儲かる離婚」などの著作、有料noteを必ず熟読すること。これ男子だけじゃなくて、相手がろくに稼がない場合女医さんも全く条件は同じだかんね。ハイスぺ獲得競争から降りると称して売れないイケメンyou tuberなどを養いがちな一部勢は特に心してください。

最後に君に願う。医師の歓びは二つある。その一は自分の医療によって健康を回復した患者の歓びがすなわち医師の歓びである。その二は、こんなクソブログを書いていても、なんかそれっぽい発言として社会が認めてくれる(認めてくれてないけど)可能性が高まることである。

今後君が懸命に心技の修養に努め、仏のごとき慈悲心と神のごとき技を兼備する立派な医師に成長したとしよう。君の神業の恩恵をうけうる患者は何人に達するか?一人の診療に10分の時間を掛けるとしよう。一日10時間、一年300日、一生50年働くとすれば延べ90万人の患者を診られる。一生外来だけやってるわけないし何なんだこの計算。無理ぽ。

インスリン発見前には糖尿病昏睡の患者を前にして医師たちは為すすべがなかった。しかしバンチングとベストがインスリンを発見して以来、インスリンは彼らが診たことがない世界中の何億人もの糖尿病患者を救い、今後も救い続ける。けど、どんなに食事指導しようと菓子パン食い放題の一部患者さんを前には、インスリンも無力である。春日武彦によれば、人間というのは「本能に逆らう愉しみを知ってしまった」種族である。今すぐ死にたくはないが、死なない程度に「病んでいたい」という半病人の気持ちもある程度汲まねばならない。だいたいガチの健康オタクってそれはそれでなんか病的なとこあるからな...。

その一の歓びは医師として当然の心構えである。これのみで満足せず、その二の歓びもぜひ体験したいという強い意志を培って欲しい。こんなクソブログじゃなくてもうちょっと意識高い何かを発信してほしいとは思わんでもないが...。心の真の平安をもたらすのは何かはよくわかりません。富でも名声でも地位でもないのはたしかですが、やっぱそれらがある程度満たされている必要があります。

(令和3年3月15日 はてなブログ 「ねずみのすもう」 チー太郎 )

武田泰淳「異形の者」

武田泰淳(1912~1976)という作家がいる。真冬の北海道の洞窟に閉じ込められた船員同士が人肉食をする「ひかりごけ」など、人間の暗部を描いた作風で知られる。

 

中学生の時、現代文の教師が「ひかりごけ」は名作だからぜひ読むようにと勧めていて、新潮文庫版のを買った。表題作の「ひかりごけ」も面白かったが、収録作品中の別の短編「異形の者」の方が後々までかなりの印象を残したためここに書き残しておく。

 

作者を幾分かモデルにしたとみられる主人公の「私」は、若干二十歳の見習い僧侶である。それなりに裕福な寺の息子である「私」は、当時流行りの社会主義学生運動などにかぶれつつ、なんとはなしに実家の寺を継ぐための得度修行に入る。

(ちなみに医学部にも何学年かに一人は実家が寺の者がいて、夏休みに実家で修行するために突然坊主頭になったりしていた。

医者と葬儀屋の両方ができるなら世話はない、などとからかわれていたものである。)

 

私が僧侶になったのはうまれつき自主独立の精神が欠けて居り、かつその頃他に何と言ってなすべきこともなかったからであった。一念発起したのでも、世をはかなんだのでもない。一番安易の道を選んだのである。

(中略)

俺は長続きしないと知りつつ仕方なしにやっているのだぞ、という態度を見せながら、下賤高級あらゆる事件に興味を抱き好奇心を起こす、そんな男が、魚屋の子が魚屋になり、地主の子が地主になるようにして、僧侶と言う職業人になったのであった。

 

勉強ができたから医学部、みたいな人物像に近いものがある。いつの世もちょっと勉強ができて実家が小金持ちな若者とはこんな感じなのだろう。

ところで、一口に僧侶見習いといってもいろんな人がいる。

「私」のようにいつまでも遊んでいられないから程度のモチベーションの者もいれば、貧窮から身を起こして、食うためにかじりつくようにして修業に入る者もいた。

後者のグループにいる「穴山」という、学歴もなければ生まれつき孤児の、狂暴な性欲を滾らせた不気味な青年が「私」を目の敵にし始める。

 

「きさまは、何か本でおぼえた哲学で俺たちを見下して批判してるような面してるが、そうは問屋がおろさねえんだ」

「俺がどんな気持ちで生きているか、どんなことを企んでいるか、甘やかされた餓鬼に何が...」

 

その後「私」と穴山の関係は破局を迎える。

きっかけは寺院の監督が、態度のよくない修行僧の一人を殴打して侮辱した事件だった。その対応をめぐって、加害者への私刑を叫ぶ穴山が一時イニシアティブを取るが、しばらく様子をうかがっていた「私」はタイミングを見計らって非暴力を主張。「ガンディーみたいにハンストをすべし」と名演説をぶって一気に僚友たちの支持を取り付けてしまった。

いかにもインテリらしい、穴山が一番嫌いそうな手法を以て彼の面目を丸潰れにしてしまったのである。

 

結局事件そのものはグダグダに収束したが、「私」と穴山の関係はそのままでは済まなかった。修業が終わり、正式に僧侶として認められる「誓いの儀式」が始まろうとするとき、最後の面目までつぶされた穴山が「私」に近寄り、決闘を申し込んでくる。「私」はそれを受ける。

 

ヒョロガリっぽい主人公が太刀打ちできるのかという疑念は残るが、屈強な穴山は片足が悪いという記述があるため、ハンデを考えると五分五分なのだろう。

 

「誓いの儀式」は、何事もなかったかのように進行してゆくが、「私」がローソクの灯りだけが頼りの真っ暗な仏殿の中で、改めて居並ぶ仏像をまじまじと見直すラストシーンがとにかく圧巻である。

 

国宝に指定され、何回の火災にも焼け残ったとつたえられるその仏像は、人間の魂を吸い寄せてしまう不思議な眼力をもっているといううわさであった。奈良にしても鎌倉にしても、巨大な仏像の名作はすべて、荘厳にして温和な表情のどこかに、この世の生物すべてを軽蔑するとまでは言えないにしろ、支配し自由にとりさばく一種の強烈さをただよわせているものである。

...つい数か月前も、この大殿の如来像の前で舌嚙み切って死んだ尼僧があった。...その仏たちは、一様に何の表情を示していなかった。

 

宗教とか仏像といったものは救いのためにあるはずが、「私」の目にはことごとく残忍な表情をたたえた存在に映っている。主人公の「私」が仏像を通じて見ているものは底知れぬ虚無とか不条理といったものである。

仏像も怖いが、僧衣に身を包んで「今まさに」正式に仏門に入ろうとする青年が、仏像を前に全く信仰心を抱くことなく、ひたすら神仏なるものへの不信を訴える描写も怖い。

 

「俺はこれから決闘に行く」と私は彼を見上げながら、考えた。

「それもあなたには見通しているのだろう。今これから髪棄山にでかけて愚劣な行為にふける、そんな俺の運命も、みんな計算し、指導しているのだろう。俺がそれを中止するにしろ、断行するにしろ、みんなあなたはそれを前もって決めてしまったのだろう」

 

「さまざまな執念があなたの前にささげられた。死んだ尼僧や親族を失った老若男女の涙が何万石となくささげられた。俺もこうしてあなたの前に座っていると、馬鹿らしいとは考えても、何かしら本心を語りたくなるのだ。あなたは人間でもない、神でもない、気味のわるい“その物”なのだ。そしてその物であること、その物でありうる秘密を俺たちに語りはしないのだ。

俺は自分が死ぬか、相手を殺すかするかもしれない。もう少し経てば破戒僧になり、殺人犯になるかもしれないのだ。それもあなたは黙って見ているのだ。

...仕方がない、その物よ、そうやっていよ。俺はこれから髪棄山に行くことに決めた」

 

「俺は日に何回あなたの名を称えるが、あなたに誓うことはできない。しかしもし俺が生きて行けたなら、無意識のうちにでも、“その物”であるあなたをかならず想い出すにちがいない」

 

主人公は境遇だけ見れば穴山などよりよほど恵まれている。万事適当にやりすごせば、食っていくに困らない地位は得られたはずなのに、なぜわざわざ陰惨な運命にはまりこんだか詳しいことは結局よくわからない。

時代的には満州事変などキナ臭い背景から、人間がムダに好戦的になっていたという説明もできるが、それだけではおさまらない何かがある。

 

作品の最初に、その後30代くらいになった「私」が酒場で人文学者と口論するシーンがある。穴山との決闘自体がどうなったかは分からないが、少なくとも「私」が命を落とすことはなかったらしい。その後「私」は、どうやら仏門とは縁を切って酒と文筆で命をつなぐ浮草のような生活をしている。どこか自分とイヤなところが似ている人間と感応し合っては、ケンカをして憂さ晴らしをするような行状は改まっていない。

 

何が何だかよく分からない作品ではある。

が、たまにふと、人間に起きることはじつはほとんど前もって決まっていて、自分の意思で決められることなど一握りほどもないのではないか、という不気味な感覚にとらわれるとき、不思議とこの「異形の者」を思い出す。

 

「...その物よ、そうやっていよ。俺はこれから髪棄山に行くことに決めた」という主人公の独白が強烈な脳内リフレインとして残っているのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

2021年の抱負

とくにない。2020年は公私いろいろあって、ちょっとやさぐれていた。それゆえ、いま振り返ると極端な煽り芸みたいなことを種々やらかしてしまった。慙愧の念に堪えない。

 

精神科病院というのは、内科外科の病院にくらべて体の急変が少ない分「まったりとした」時間が流れているかに見えて、人類史を通じて不当に遇されてきた精神障碍者たちの「怒りの微粒子」みたいなものが漂う場所でもある。精神科医療スタッフは否が応でもそれに被曝するのだということに遅まきながら気づいた。治療が必要なのはまず自身であったかもしれず、しかもそれはtwitterを通じて行うべき筋のものではない。2021年はせめてネット空間において不必要にひとを怒らせないようにしたいと思う。

 

電車に乗ったら、泥酔している中年男性が座席に横たわっていた。ちょっと足がむくんでいる。

10年ほどまえの、まだ医学生だったころのわたしが見たら眉を顰めるだけで終わっていただろうが、いま見ると社会的背景、家族関係、診断名、顔だちから類推するに過去にみた患者のうちの誰に近いか、もし精神科に通院しているとしたらどんな薬が出ていそうか、今後の転帰、などが瞬時に思い浮かんでしまう。

何かイベントがあって搬送されるとしたらどこらへんの病院の救急なのか、現場の喧騒、(もし彼に精神科通院歴があった場合、「またか、精神科は何をしているんだ」という現場スタッフの微量のヘイトなども含め...)といった情景も。

ただしこのコロナの情勢下では、そもそも搬送先がないことも考え得るか。

医療崩壊とは、ある日病院の建物がガラガラ音を立てて崩れることではなく、立派な建物も先進医療の機器もそのままで、しかしこれまでなら受け入れや治療ができたようなケースの対応ができなくなることを指す。

コロナ対応の第一線にあるわけでもなく、精神科の中でも戦線の後方にいるわたしにそんなことを語る資格もないのではあるが。

ただし、わたしが今いる、業界的価値観でいえば「ショボい」とされそうな場末病院ですら、すでにかつてできていたことができなくなりつつある。当科でできること、できないことを根を詰めて話し合わねばならない毎週の会議が陰鬱だ。

 

ひとつよかったのは、紅白歌合戦でyoasobiが観られたことだ。妻も同意してくれたことだが、わたしの若い頃よりJ-POPはさらに洗練されている気がする。ムリしてテンションを上げているような軽躁的なところがなく、暗さを暗さのまま受け止めて素朴に表現するスタイル。根拠なき霊感にすぎないが、時代はじわじわと古典的な、日本的情緒のセンスに回帰してゆくのかもしれない。

 

 

 

 

 

中島みゆき考その1 「アザミ嬢のララバイ」

ツイッターでたびたび中島みゆき(1952~)に言及しているが、つい5年前まで彼女の作品はよく知らなかった。

野太い声で歌うなんか怖い人という先入観があったし(失礼)、たまにファンだと公言するひとに出会うと妙にめんどくさい人だったりした。いまや自分がそうなってしまったが。

 

中島が2002年の紅白歌合戦に初出場し、黒部ダムから中継で「地上の星」を歌ったときわたしはまだ高校生だった。母が「中島みゆきって若いころより今の方が綺麗になったよね」とボソっと呟いたのを記憶している。

 

ん?えーと、「時代は回る」の人だったかしら。安達祐実の「家なき子」のテーマソングもこの人だったっけ。たしかに50歳のわりには若く見えるなあ。天下の大中島の偉大さを、ほんの小僧だったわたしに理解できるはずもなかった。

 

その後大学に入って、暇なときネットを観ていると、爆笑系flash動画(懐かしい!!)のバックミュージックとしてよく「地上の星」が使われていた。このころは、チー太郎という未熟な個体の内面において、中島みゆきは完全に「ネタ枠」であった。

 

しかし、自分のことをよく知らない世代に対してもまず「ネタ枠」として存在を植え付けるのが中島の戦略と見える。知らず知らずのうちに彼女の存在は、バクテリアのようにわたしの内面を浸蝕していった。同世代のユーミン竹内まりやのポップ感とは一線を画した、「なにか違う」感じ。とにかく頭の隅に引っかかって気になる存在ではあり続けたのである。

 

そうこうするうち、わたしは社会人になり、家庭も持ったりして年々ライフステージは変わっていった。

いつしか20代も終わりにさしかかっていた。抱える課題の種類が増える。医者の不養生とはよくいったもので、精神科医でありながら自らがだんだん病んできた。以前は軽く受け流していた仕事の些細なトラブルが、確実にダメージとして蓄積するようになっていった。

春日武彦先生は「幸福論」のなかで、「人間は精神を病むとミニチュア志向になる」と書いている。たしかに人間、精神的に追いつめられると、可能な限り外部との接触を減らして自分の世界に籠ろうとするのである。

 

5年前の今頃は、ひたすらイヤホンを使って大音量でバッハの「無伴奏ヴァイオリン」などを聴いて放心するほかはネットを観ていた。

このころ楽しみにしていたのは、ネット編集者の中川淳一郎さんの新刊をチェックすることと、phaさんのブログである。

とかく厭世的になりがちだったわたしは「高学歴ニート」を称するphaさんの、ちょっと脱力しつつ知的な雰囲気を愛していた。そんなある日、こんな記事が上がった。

 

pha.hateblo.jp

 

 菩薩。phaさんを通じて中島みゆきが出てくるとは思わなかった。13年前の紅白歌合戦の映像が脳裏をよぎった。この記事が上がった5年前時点で、「ファイト」の歌詞のイメージから中島が九州出身者だと思い込んでいた程度には、わたしはまだ彼女という存在に疎かった(実際は北海道)。

しかしphaさんをも魅了するのなら、中島みゆきという偶像には「何か」があるにちがいない。おそるおそる、phaさんが紹介されていた、平井堅草野マサムネがカバーした「わかれうた」の動画を視てみたら、意外に安心して聴くことができた。

アレ、なんかこれまで抱いてた「野太い」「ヤバい」イメージと違う蠱惑的な...むしろ繊細なメロディーラインじゃない?

それにつけてもスピッツは偉大である。中島みゆきへの門戸を開いてくれたのは間違いなくphaさんとスピッツだと思う。1マス進む。しかしまだ中島本人による歌を聴きたくなるほどのモチベーションはなかった。

 

さらに数か月経ったころ、わたしは山奥の病院で当直をしていた。築半世紀を超えた、はたからは巨大な廃屋にしか見えない寂れた病院である。窓の外は「漆黒」とでも形容したくなるような、ふかい闇である。ひどく寒い夜だったうえに、暖房も効きが悪い。当直室は打ちっぱなしのコンクリートにパイプ椅子といった趣で、殺風景この上ない。

 

こりゃやり切れんなあ、とブツブツ言っているうちに、ふとphaさんの記事を思い出した。医局のパソコンから、まったくの思いつきで「中島みゆき」で動画を検索してみると、デビュー間もない頃と思われる40年ほど前の歌謡番組の収録がでてきた。デビュー曲の「アザミ嬢のララバイ」である。

 

それまでデビュー当時の彼女といえば、どこかでみたことがあるレコードジャケットの、浅黒い・映りの悪い写真1枚しか知らなかった。こんなデビュー曲が存在することもこのとき初めて知った。内容は、自らを「アザミ」と称する、どこかうらぶれた感じの女が傷ついた誰かをひたすら慰める「ララバイ」である。歌詞の雰囲気は暗くやや不気味だが、ララバイ、おやすみ、と物悲しいリフレインが妙なグルーヴ感を醸す。

驚いたことに、薄暗いステージで黒いドレスに身を包み、ギターを弾き語る古い映像のみゆきはゾクッとするほどの美人であった。

 

春は菜の花 秋には桔梗

そしてあたしは いつも夜咲くアザミ

 

その半年ほど漠然と感じていた不条理感、phaさんのブログ、という「前フリ」があったことに加え、この晩の「うすら寒い山奥の雰囲気」がなければここまでのインプレッションを受けなかったかもしれない。

 

後で知ったが「アザミ」というのは「不美人」の隠語だとも。

なんというか、美への妄執に取りつかれながら死んでいった幾多の女たちの情念みたいなものが、人型に姿を変えて現れた感じがして、恐ろしさに打たれてしまった。

ベースには菜の花、桔梗といった四季の花々を愛でる土俗的な情念がある。いわばめくるめく花々の色に託された、女たちの狂気の世界である。亡霊の集い歌う、夜の賛歌である。誰が評したのかは忘れたが、処女作というのは、まだ未成熟ながら「その作家のすべてがある」という。以降わたしは彼女という存在のファンになった。

 

以上、中島みゆきという歌手との「馴れ初め」についてくどくどと書いてみた。

何となく気になってはいたものの当初はそんなに興味を惹かれなかったものが、何かのきっかけで自分の中で爆発的にヒットしてしまうというのはあるあるだと思う。ことに私生活において、真綿で首を絞められるような苦しさがあり、どこか現実感も薄れた微妙な時期においてこういった現象は起りやすい気がしている。

 

考えてみたら春日武彦先生の著作にハマったのもそんな感じでした。最近は、長いことアメリカかぶれのキザだと思い込んでいた村上春樹に急激に興味を惹かれ始めた。いくつになっても新たな発見があるのはいいことだ。

 

最後に、ここまで持ち上げといてナンだが、中島みゆきのすべてが好きなわけでもない。

近年の歌はなんだか説教くさい。明らかに万人受けを狙ったメジャー曲より、うらぶれた女がクダを巻いているような、せせこましい世界観のマイナー初期作品の方が、かえって「普遍なるもの」に通じている気がする。

また彼女の真の偉大さは作品そのものというより、自分を飾らず、絶対にボロを出さない卓越したイメージ戦略にあるとも思うのだが、紙面が尽きてきたので今回はこの辺で。チー

 

nezuminosumo.hatenablog.com

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ダメ男考

「アタシ男運悪くて。。」

 

という恋愛相談めいたものを受けることが時々ある。ツイッターでは二言目には嫌味を言うウザいねずみキャラになっているが、リアルでのわたしは気さくで人の話をよく聴くのである。

 

正直アラサー以上になって男運が悪い、と言われても、「お、おぅ…」意外の感想はない。いや、わたし個人は心底共感するのだが、文筆家・M田寺K氏などはそう感じるそうだ。それは置くとして、そういう話を聞いていて思うのが、結局そういう人が好きなんだからしょうがないんじゃない、という身も蓋もない実感である。

 

わたしたちがハマるのは冷静に考えてみればロクでもないものが多い。ツイッターなどその最たるものだろう。

 

社会にとって大切なものは、個人にとってみたら退屈なものである。もちろん女性が結婚を考えるなら、仲人的な視点に立つなら第一に安定。公務員などがのぞましい。DVやモラハラをしない安定感。育児に協力的、誠実さや協調性。アンガーコントロールの重要性。そんなことは分かっているが、校長先生の朝礼のあいさつみたいなもんで、正しいことは退屈だ。

 

仮にそこまでストイックで正しい男がいたとして、本人の日頃の鬱憤はどこで晴らされているのだろうか。意外に変態な一面があったりして、こんなことなら顔だけで選んでおいた方がまだマシだった、という帰結もあり得なくはない。

単に「物件」として優良だから瑕疵がないと言い切れないところに、結婚相手の男性というものの難しさがあるのだろう。

 

他人事のように言っているが、仮にわたしが女に生まれていたらどうだっただろうか。

医学部に進んで女医になったかもしれないが、生活費の面で妥協する必要がない分、きっと無難で退屈な男には興味を惹かれなかったと思う。ではどんなのがいいか。

以下のような情景が容易に想像できる。

 

「ルックスはまあ悪くはない。酒もそれなりに呑める、流行りの歌もそれなりに歌える。けど、それだけ。ナヨっとして、いまいち男らしさがない。深い悩みもなさそうに見える。それが彼の初印象でした。

 

はじめは今どきの子にありがちな「器用だけど表層的なタイプ」の一人としか思っていなかった。しかし自分の前で時折みせる表情にはときおり陰があり、前髪を掻きあげるしぐさにゾクっとする色気を感じるようになる。よくみると、中学生の頃通学バスで気になっていた(ついに声をかけることのなかった)男の子にちょっと面差しが似ている。食事のスパイスなんかにこだわりもあったりして意外性に興味を惹かれる。料理とかするのかしら。

よくよく聞くと、むかし家庭にも大変な不幸があったようだ。深くは語らないが。

このあたりから彼のことが本格的に気になり始める。

とにかく危なっかしくて放っておけない。そのうちふとしたはずみで深い仲になる。本当に予期していなかったような、ふとしたタイミングである。女性にはシャイそうだった彼が、まさかいざとなるとあんな積極的とは。

...付き合ってみて分かったが、大人しそうなのは猫をかぶっていただけで、素の彼は気分ムラがはげしかった。猫なで声で甘えるかと思えば、なにかの地雷に触れると激高する。日に日に小さな諍いが増えた。心臓に悪い。やがてよく分からない理由で金の無心が始まる。はじめはマメだった連絡も次第に返信が雑になってきた。部屋にやってきて、当然のように手料理とセックスを要求し、何日か泊まり込んだと思えば、フラッとまた出ていく。気になって彼からのLINEを遡ってみると、どうも内容に矛盾がある。はじめてのときの「意外に手慣れた感じ」を思い出し、今さらのように嫌な予感が走る。もしやほかにも女がいるのか。

 

とにかくこちらも感情を揺さぶられハラハラさせられ通しである。ある日、堪忍袋の緒が切れた。いい加減にしてよ、もうウンザリだわ別れましょう、さあ出ていって。激しい罵倒が返ってくるかと身構えていたら、彼は意外にもすんなり出て行った。

まったく生意気な小僧だったわ。ああせいせいした。しかし、彼がいなくなってみて、元の生活にも戻れないことに気づく。しばらく空虚な日々が続く。ある晩、米を研ぎながらふと涙が止まらなくなった。意を決してこちらからおそるおそる連絡してみたが、梨のつぶてである。もう帰ってこないのかもしれない。ほとんど諦めていた、ある雨のそぼ降る晩である。「ごめん。今から行っていい?」と一通のLINEが。やがて文字通り「濡れた子犬のようになった」彼が帰ってくる。わたしはため息を吐きながら出迎える。静かな、しかし熱い抱擁...」

 

そんな菅田将暉みたいな年下の男を飼っておきたい欲望に駆られただろうと思う。

 

だいたいこういう男は「ある日突然」本当にいなくなるのが難点だが、それにしても菅田将暉はかわいい。

 

話が脱線したが、アルコールや薬物でもない限り、クセになってしまったものは「著しい社会生活の障害」を来していない限りにおいて、そのままにしておくしかないのではないかと思う。ダメ男に毎回ひっかかるのはそういう好みなのであり、好みは長年の習慣や性格に深く根差していて、そう簡単には変えられない。

 

私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない。

 

太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、
冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治されるはずだった。
生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。

 

三島由紀夫太宰治の文学を辛辣にけなした、有名な一文である。

しかし、人間の性質や好みが「冷水摩擦や器械体操」で本当に矯正され得るかは疑問である。健康にはいいと思うが。

三島自身もそんなことはないとはじめから気づいていて、ただ太宰憎しのあまりそういう文言を使ってみたに過ぎない気もする。太宰みたく虚無を重ねた挙句に本当に死んでしまっては困るが、多くの場合、落ち着くべきところに落ち着くのではないだろうか。

 

そういえば、CAじゃなきゃだめ、女医にしても極上の美人に限る、とか言ってたM法医先生お元気ですか。みな心配しています。先生のような方は意外と思わぬタイミングでポーンと結婚しそうな気もします。ではごきげんよう

 

 

 

 

不幸の中の幸福

「不幸になりたがる人たち」

わたしの私淑する精神科医春日武彦(1951~)先生の著作のひとつである。

1年ほど前のエントリーでも書いた気がするが、人間というものが口では幸せを望みながら、「ひそかな自滅志向」に酔いながら生きているのではないか、という考察の書である。そもそも「幸せの定義」があやふやなのは置くとして、人間が無意識のうちに小さな「自滅」を志向しているのではないか、というのは、30数年生きてきて実感が強くなっている。

 

たとえばツイッターである。不用意な発言をすれば、たとえフォロワー数十人程度だろうと鍵垢だろうと炎上するリスクは2013年ころの「バカッター」騒動で明らかなのに、なぜ今日に至るまで似たような事例が後を絶たないのか。

 

いや、最近の炎上を見ると、かつてのバイトテロのごとき「思慮の足りない人物がうっかり」パターンももちろんあるが、分別盛りの壮年以上のユーザーが、うすうす炎上の気配を察しつつ「敢えて」燃料を投下しているケースが目につく。中には、政治やジェンダーといった、「いかにも」火中の栗といったテーマで煽っているパターンもある。

 

わたしはここに、存在を認知されない空虚感よりは、たとえ誹謗を受ける可能性があっても「存在を知らしめる」「不幸・不快には違いないが生きている実感が得られる」炎上の方が百倍マシ、という、人間のいじらしい一面を見る。

 

これまでの人生において深く心を傷つけられた人にしてみれば、今さら思いやりのある人々に囲まれた、穏やかな日々としての「幸福」など得られるとは思っていないし、得られたとしてもどこかウソ臭さがつきまとう。ある若い日に自分を手ひどく振った恋人が、その後「性的魅力が衰えてから」手のひらを返して言い寄ってきたときみたく、何を今さら、といった気持ちもあるのだろう。それよりかは、あえてピラニアの群れに身を投じ、誹謗攻撃の応酬をしてこそ、「不幸に身をさらしてこそ」生きる実感が湧いてくるといった心情がありはしないか。

 

瀟洒なマイホームに手入れの行き届いた庭、温かい家庭に休日はピクニック...みたいな、絵にかいたような幸福を得られる人はそんなに多くはない。かりに実現したとしても、それは美しいがコストの割に退屈な面もあり、いつ壊れるかわからない脆さや不安も付き纏う。ドラマチックさに欠ける点でもどこか「不幸の萌芽」を宿したものとなる。それより、薄暗い情念の渦巻く空間のなかで、想定内の侮蔑や憎悪を応酬し合う方がよほど気楽で生きがいがあり、(不毛で発展性は乏しいにせよ)屈折した楽しみを生ぜしめ得る...そう考えるひとがいてもちっとも不思議ではない。

 

シェイクスピアの「マクベス」の冒頭、荒野で魔女たちが

 

「きれいは汚い、汚いはきれい」

(fair is foul, and  foul is fair)

 

と謎の合唱をするシーンがある。

蓋し名言というべきで、ひとつの概念は正反対の概念にいつしか通じる。ここまでくると「幸福は不幸、不幸は幸福」なのである。

 

世間には幸福そうだが不幸な人、不幸そうだが幸福なひとがいかに多いことだろうか。

(春日武彦「幸福論」)

 

ここまで極端な例を描いてきたようだが、誰でも時にはろくでもない時間潰しに耽ったりと「プチ自滅」な振る舞いでガス抜きをしたりするものである。もしかすると、生活の中に巧妙に小さな「不幸」を織り交ぜることは、意外にも幸福への要諦なのかもしれない。