ねずみのすもう

精神科医のねずみ

医学をえらんだ君に問う。

医学生へ 医学を選んだ君に問う 

医師を目指す君にまず問う。高校時代にどの教科が好きだったか?物理学に魅せられたかもしれない、英語が得意だったかもしれない。わたしは世界史でした。しかし医学が好きだったことはあり得ない。日本国中で医学を教える高校はないからだ。そりゃそうだ。当たり前のことをいちいち言わんでよろしい。

高校時代に物理学または英語が大好きだったら、なぜ理学部物理学科や文学部英文学科に進学しなかったのか?物理学に魅せられたのなら、物理学科での授業は面白いに違いない。とはいえ、理3入れる頭があるなら理3入った方がなんかドやれるよね。受験オリンピックのメダルが欲しいというのは気構えとしては全く非難されるべきではない。

君自身が医学を好むか嫌いかを度外視して、医学を専攻した事実を受容せねならない。結論を急ぐ。

授業が面白くなければ「代返」という制度がある。医学部の授業というのは、ややもすればやる気ない教官が、ビッシリ文字で埋まった読ませる気ゼロのスライドを延々読み上げる授業だが、定員100名の医学部で出席者が明らかに10人(全員女子)なのに「出席表によると」全員出席、という爆笑の場面が生まれたりする。これをやらかしたところ、防衛医大からわざわざ招聘した2年次の「医学英語」の教官は弊学を辞めてしまわれました。医学が君にとって面白いか否か全くわからないのに、別の理由(動機)で医学を選んだのは君自身の責任なのかもしれないが、こうした裏技がないこともない。てか今代返とかってできるの?

次に君に問う。人前で堂々と医学を選んだ理由を言えるか?万一「将来、経済的社会的に恵まれそう」以外の本音の理由が想定できないなら、君はダンテの「神曲」を読破せねばならない。しかも山川丙三郎訳・全編文語の岩波版で。

地獄編33曲のウゴリーノ伯が塔に押し込められて一族もろとも餓死する描写の凄惨さは3日間抑うつを呈すること請け合いである。ちなみにダンテ自身、政争にやぶれてフィレンツェを追われた過去があり、自分を冷遇した政治家が地獄に落ちて苦しんでいるシーンをわざわざ書いていたりする。陰鬱なやつだ。現代に生まれたら絶対ツイッタラーになっていただろう。煉獄編は全く話が進まず苦行になるが、マンフレディの悔恨および中世ヨーロッパ最大の奸雄シャルル・ダンジューの事跡、ドイツ大空位時代がイタリア政治史にもたらした衝撃を学びたまえ。最後に、ダンテが終生愛の歌をささげた女性ベアトリーチェであるが、「神曲」発表当時すでに夭折しており、じつはダンテとは二回くらいしか面識がないらしい。完全にストーカーでした。イタリアルネサンスの巨匠といえば、ペトラルカにも同様の逸話がある。ちなみに世界史でも選択しない限り入試科目とは関係ないため、こんなの読まなくても1ミリも問題ありません。

さらに問う。奉仕と犠牲の精神はあるか?重症患者のための連夜の泊まり込み、急患のため休日の予定の突然の取り消しなど日常茶飯事だ。死に至る病に泣く患者の心に君は添えるか?ちなみに僕はちょっと無理でした。

わたしのような医師になりたくないなら、「よく学び、よく遊び」は許されない。医学生は「よく学び、よく学び」しかないと覚悟せねばならない。あ、ただ学生のうちにそこそこ恋愛はしといたほうがいいよ。でないといずれ婚活沼にハマるか、ヤバいのに引っ掛かって職場に凸られたりする。友人から聞きました。

医師国家試験の不合格者はどの医学校にもいる。全員が合格してもおかしくない医師国家試験に1,2割が落ちるのは、やはり医学部の授業が国試向きでないからだろう。教授の趣味みたいなことやってんだから当然である。むしろあんなカリキュラムで大半の医学生が国家試験に通る事実に瞠目すべきだろう。医師には知らざるは許されない。いまどき仕事中に割り込み電話をしてくる謎の不動産勧誘に乗る人は最早いないと思うが、人生の真の禁忌肢は結婚に現れる。ことに半端に高給取りな医師が将来離婚となった場合の婚費諸々の恐ろしさは、恋愛工学などでお馴染み・藤沢和希の「損する結婚・儲かる離婚」などの著作、有料noteを必ず熟読すること。これ男子だけじゃなくて、相手がろくに稼がない場合女医さんも全く条件は同じだかんね。ハイスぺ獲得競争から降りると称して売れないイケメンyou tuberなどを養いがちな一部勢は特に心してください。

最後に君に願う。医師の歓びは二つある。その一は自分の医療によって健康を回復した患者の歓びがすなわち医師の歓びである。その二は、こんなクソブログを書いていても、なんかそれっぽい発言として社会が認めてくれる(認めてくれてないけど)可能性が高まることである。

今後君が懸命に心技の修養に努め、仏のごとき慈悲心と神のごとき技を兼備する立派な医師に成長したとしよう。君の神業の恩恵をうけうる患者は何人に達するか?一人の診療に10分の時間を掛けるとしよう。一日10時間、一年300日、一生50年働くとすれば延べ90万人の患者を診られる。一生外来だけやってるわけないし何なんだこの計算。無理ぽ。

インスリン発見前には糖尿病昏睡の患者を前にして医師たちは為すすべがなかった。しかしバンチングとベストがインスリンを発見して以来、インスリンは彼らが診たことがない世界中の何億人もの糖尿病患者を救い、今後も救い続ける。けど、どんなに食事指導しようと菓子パン食い放題の一部患者さんを前には、インスリンも無力である。春日武彦によれば、人間というのは「本能に逆らう愉しみを知ってしまった」種族である。今すぐ死にたくはないが、死なない程度に「病んでいたい」という半病人の気持ちもある程度汲まねばならない。だいたいガチの健康オタクってそれはそれでなんか病的なとこあるからな...。

その一の歓びは医師として当然の心構えである。これのみで満足せず、その二の歓びもぜひ体験したいという強い意志を培って欲しい。こんなクソブログじゃなくてもうちょっと意識高い何かを発信してほしいとは思わんでもないが...。心の真の平安をもたらすのは何かはよくわかりません。富でも名声でも地位でもないのはたしかですが、やっぱそれらがある程度満たされている必要があります。

(令和3年3月15日 はてなブログ 「ねずみのすもう」 チー太郎 )