ねずみのすもう

精神科医のねずみ

ダメ男考

「アタシ男運悪くて。。」

 

という恋愛相談めいたものを受けることが時々ある。ツイッターでは二言目には嫌味を言うウザいねずみキャラになっているが、リアルでのわたしは気さくで人の話をよく聴くのである。

 

正直アラサー以上になって男運が悪い、と言われても、「お、おぅ…」意外の感想はない。いや、わたし個人は心底共感するのだが、文筆家・M田寺K氏などはそう感じるそうだ。それは置くとして、そういう話を聞いていて思うのが、結局そういう人が好きなんだからしょうがないんじゃない、という身も蓋もない実感である。

 

わたしたちがハマるのは冷静に考えてみればロクでもないものが多い。ツイッターなどその最たるものだろう。

 

社会にとって大切なものは、個人にとってみたら退屈なものである。もちろん女性が結婚を考えるなら、仲人的な視点に立つなら第一に安定。公務員などがのぞましい。DVやモラハラをしない安定感。育児に協力的、誠実さや協調性。アンガーコントロールの重要性。そんなことは分かっているが、校長先生の朝礼のあいさつみたいなもんで、正しいことは退屈だ。

 

仮にそこまでストイックで正しい男がいたとして、本人の日頃の鬱憤はどこで晴らされているのだろうか。意外に変態な一面があったりして、こんなことなら顔だけで選んでおいた方がまだマシだった、という帰結もあり得なくはない。

単に「物件」として優良だから瑕疵がないと言い切れないところに、結婚相手の男性というものの難しさがあるのだろう。

 

他人事のように言っているが、仮にわたしが女に生まれていたらどうだっただろうか。

医学部に進んで女医になったかもしれないが、生活費の面で妥協する必要がない分、きっと無難で退屈な男には興味を惹かれなかったと思う。ではどんなのがいいか。

以下のような情景が容易に想像できる。

 

「ルックスはまあ悪くはない。酒もそれなりに呑める、流行りの歌もそれなりに歌える。けど、それだけ。ナヨっとして、いまいち男らしさがない。深い悩みもなさそうに見える。それが彼の初印象でした。

 

はじめは今どきの子にありがちな「器用だけど表層的なタイプ」の一人としか思っていなかった。しかし自分の前で時折みせる表情にはときおり陰があり、前髪を掻きあげるしぐさにゾクっとする色気を感じるようになる。よくみると、中学生の頃通学バスで気になっていた(ついに声をかけることのなかった)男の子にちょっと面差しが似ている。食事のスパイスなんかにこだわりもあったりして意外性に興味を惹かれる。料理とかするのかしら。

よくよく聞くと、むかし家庭にも大変な不幸があったようだ。深くは語らないが。

このあたりから彼のことが本格的に気になり始める。

とにかく危なっかしくて放っておけない。そのうちふとしたはずみで深い仲になる。本当に予期していなかったような、ふとしたタイミングである。女性にはシャイそうだった彼が、まさかいざとなるとあんな積極的とは。

...付き合ってみて分かったが、大人しそうなのは猫をかぶっていただけで、素の彼は気分ムラがはげしかった。猫なで声で甘えるかと思えば、なにかの地雷に触れると激高する。日に日に小さな諍いが増えた。心臓に悪い。やがてよく分からない理由で金の無心が始まる。はじめはマメだった連絡も次第に返信が雑になってきた。部屋にやってきて、当然のように手料理とセックスを要求し、何日か泊まり込んだと思えば、フラッとまた出ていく。気になって彼からのLINEを遡ってみると、どうも内容に矛盾がある。はじめてのときの「意外に手慣れた感じ」を思い出し、今さらのように嫌な予感が走る。もしやほかにも女がいるのか。

 

とにかくこちらも感情を揺さぶられハラハラさせられ通しである。ある日、堪忍袋の緒が切れた。いい加減にしてよ、もうウンザリだわ別れましょう、さあ出ていって。激しい罵倒が返ってくるかと身構えていたら、彼は意外にもすんなり出て行った。

まったく生意気な小僧だったわ。ああせいせいした。しかし、彼がいなくなってみて、元の生活にも戻れないことに気づく。しばらく空虚な日々が続く。ある晩、米を研ぎながらふと涙が止まらなくなった。意を決してこちらからおそるおそる連絡してみたが、梨のつぶてである。もう帰ってこないのかもしれない。ほとんど諦めていた、ある雨のそぼ降る晩である。「ごめん。今から行っていい?」と一通のLINEが。やがて文字通り「濡れた子犬のようになった」彼が帰ってくる。わたしはため息を吐きながら出迎える。静かな、しかし熱い抱擁...」

 

そんな菅田将暉みたいな年下の男を飼っておきたい欲望に駆られただろうと思う。

 

だいたいこういう男は「ある日突然」本当にいなくなるのが難点だが、それにしても菅田将暉はかわいい。

 

話が脱線したが、アルコールや薬物でもない限り、クセになってしまったものは「著しい社会生活の障害」を来していない限りにおいて、そのままにしておくしかないのではないかと思う。ダメ男に毎回ひっかかるのはそういう好みなのであり、好みは長年の習慣や性格に深く根差していて、そう簡単には変えられない。

 

私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらいだ。第二にこの人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない。

 

太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、
冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治されるはずだった。
生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。

 

三島由紀夫太宰治の文学を辛辣にけなした、有名な一文である。

しかし、人間の性質や好みが「冷水摩擦や器械体操」で本当に矯正され得るかは疑問である。健康にはいいと思うが。

三島自身もそんなことはないとはじめから気づいていて、ただ太宰憎しのあまりそういう文言を使ってみたに過ぎない気もする。太宰みたく虚無を重ねた挙句に本当に死んでしまっては困るが、多くの場合、落ち着くべきところに落ち着くのではないだろうか。

 

そういえば、CAじゃなきゃだめ、女医にしても極上の美人に限る、とか言ってたM法医先生お元気ですか。みな心配しています。先生のような方は意外と思わぬタイミングでポーンと結婚しそうな気もします。ではごきげんよう