ねずみのすもう

精神科医のねずみ

自殺考

幸か不幸か、これまでの人生、真剣に自殺を考えたことがない。

 

漠然と死にたいなーと思ったことは何回かあるのだが、いざ実行に移すことを考えると、仕損じた場合の悲惨さが真っ先に思い浮かんでしまい躊躇してしまうのが常だった。

 

子供のころ読んだ「学校の怖い話」で、自殺した人の霊は成仏できず、狭い暗闇で何百年も一人で立ち続けていなければならない、というくだりが妙に脳裏にこびりついていたせいもある。死後の世界が安寧である保証もないのである。

 

この辺、イスラムのジハード戦士の「神のために自爆死したものは永遠の快楽の園にゆく」みたいなカラッとした砂漠の死生観とのコントラストがある。多湿因循な東アジアならではの文化的発想かもしれない。

 

精神科医になってからも、担当した患者さんの自殺に直接遭遇したことは幸いにして(?)ない。

これはわたしの治療が優れているというより、真剣に生死について悩んでいるひとはわたしという医者をみて「こりゃあかん」と通院をやめてしまい、その後自死しても観測されていないだけではないかと疑っている。

 

真面目ぶってはいるが中身はスーダラな感じは、感覚の鋭い人には容易に見抜かれるのであろう。一方、そういった不幸な転帰をとるケースに当たりがちな精神科医というのもいる。

 

不思議といえば不思議だが、世の中には、身の回りで生死をかけた不幸が起こりがちな人と、そういうものにあまり縁のない人とがいるようで、わたしの場合は後者なようである。

 

否、正確に言うと、担当患者というわけではないが、形だけ1回面接した人物がわたしの手を離れて、「その後しばらくして自殺していた」ことなら数回だけ経験がある。

 

かなり前、とある施設の「名ばかり診療室長」になって週一で新規入居者の面談を行っていた。大抵ほかの医院が通院先として存在していたので、わたしが主治医であるわけでもない。そこの規定で入居時に1回だけ、その後は何か異常がなければとくに診察もしない「形だけ」の顔合わせだった。それを数年やっていたのだが、面談のしばらく後に施設職員から自殺の報告を受けたことが数件あったのである。

 

1回の診察で、それと疑わせるような兆候は特になかった。お前の精神科医としての勘が鈍いだけだと言われたらそれまでだが、教科書に「自殺のリスク因子」として取り上げられているような自傷や自殺企図の過去なども、情報を集める限りとくになかった。いじめ虐待パワハラ重労働といった背景も、すくなくともその前後にはない。

そもそもメンタル不調の訴えはなく、身体疾患の通院先のみで、すべて本来の筋からいうと「精神科医が登場する理由すらない」ケースだった。あちらから見ても、なんで精神科医なんかが出てくるんだよ、かったるいなぁ、という感じだったと思う。

 

面接していた印象であるが、今にも魂の消え入るような、危うげな印象もなかった。どちらかというと態度はちょっとぎらついていて挑戦的だった記憶がある。へぇ、あなたが精神科医という人種ですか、まあお手並み拝見ですね、とでも言いたげな小馬鹿にした口調や応答で、正直ムッとさせられたのである。そういった人物がその後しばらくして近くのビルから身投げした、などと報告を受けて驚かされた。

 

自殺というと、死にたくなるようなダメージの蓄積の末に「悲痛な覚悟」をもって行われるイメージが強い。

実際、多数の自殺ケースはそのように行われるのであろうが、なぜかわたしの経験したごく少数のケースは、表向きはそれを危惧させるような情報も乏しく、むしろ生命力が不吉な方向に横溢しているタイプの人物が、エネルギー発散のベクトルを誤って「うっかり」足を滑らせるようにして現世から退場したようなケースだったように思う。この仕事を長くやっていると、エビデンスの俎上には載らない事態の印象が強まって、どんどん疾患なり現象の本質に自信がもてなくなっていくようなところがある。

 

自殺といえば、フランスの自然主義作家モーパッサン(1850-1893)の作品で、自殺者の心理を解剖したものがある。

 

青空文庫」で公開されているが、老年にさしかかったとある男が大きな理由もなく、長年のちょっとした不全感や孤独感の蓄積の末にピストル自殺をする話で、もしかしたら自分もこんな感じでふと自殺してしまうのではないか、という恐怖の肌触りがじわじわ伝わってくる作品である。作品はこの「私」の遺書がメインである。

 

モオパッサン 秋田滋訳 ある自殺者の手記 (aozora.gr.jp)

 

何もかもが、なんの変哲もなく、ただ悲しく繰返されるだけだった。家へ帰って来て錠前の穴に鍵をさし込む時のそのさし込みかた、自分がいつも燐寸マッチを探す場所、燐寸マッチの燐がもえる瞬間にちらッと部屋のなかに放たれる最初の一瞥、――そうしたことが、窓からと思いに飛び降りて、自分にはのがれることの出来ない単調なこれらの出来事と手を切ってしまいたいと私に思わせた。


 私は毎日顔を剃りながら我とわが咽喉をかき切ってしまおうという聞分けのない衝動を感じた。頬にシャボンの泡のついた、見飽きた自分の顔が鏡に映っているのを見ていると、私は哀しくなって泣いたことが幾度となくある。

 

いくら回ったって限りのない円なのだ。そこには思いがけぬ枝道があるのでもなく、未知への出口があるわけでもない。ただぐるぐる回っていなければならないのだ。同じ観念、同じ悦び、同じ諧謔かいぎゃく、同じ習慣、同じ信仰、同じ倦怠のうえを、明けても暮れてもただぐるぐると――。
 

今夜は霧が深くたち籠めている。霧は並木路をつつんでしまって、鈍い光をはなっている瓦斯ガス灯がくすぶった蝋燭のようにみえる。私の両の肩をいつもより重くしつけているものがある。おおかた晩に食ったものが消化こなれないのだろう。


 食ったものが好く消化れると云うことは、人間の生活のうちにあってはなかなか馬鹿にならないものなのだ。一切のことが消化によるとも云える。

 

...病弱な胃の腑は人間を駆って懐疑思想に導く。無信仰に誘う。人間の心のなかに暗い思想や死をねがう気持を胚胎はいたいさせるものだ。私はそうした事実をこれまでに幾度となく認めて来た。

今夜食べたものが好く消化していたら、私もおそらく自殺なんかしないで済んだろう。

 

つまるところ、自分に今後一切のあたらしい展望や可能性がない、という絶望感が自殺への一里塚なのだと思う。

たとえば過労自殺の案件はたびたび報告されるが、死ぬくらいなら逃げればいい、という、一見正論には違いない意見がいざ当人にしてみるとあまり説得力がないのは、おそらくこの点に尽きる。追い込まれた人間の頭脳には、いまある職務を捨てた先の「展望」がまず描けない以上、それはまた新しい地獄の入り口としか思えないのではないか。

(ことに社会的にはエリートと見なされるような職種の場合、そうでない立場に転落するのはほとんど人間の資格の喪失を意味するかのような「刷り込み」が長年にわたって為されているケースも多い。が、話が脱線するのでここでは深堀しない。)

 

それにしても、漠然と八方塞がりな状況を「食ったものが消化(こな)れない」と表現するのには妙なリアリティがある。

 

結局、57歳のこの男が自殺を直接決意したきっかけは「机の引き出しから偶然出てきた昔の書類を読み返したこと」だった。

 

ああ、もしも諸君がに執着があるならば、断じて机に手を触れたり、昔の手紙が入っているこの墓場に指も触れてはいけない! 

万が一にも、たまたまその抽斗を開けるようなことでもあったら、中にはいっている手紙を鷲づかみにして、そこに書かれた文字が一つも目に入らぬように堅く眼を閉じることだ。忘れていた、しかも見覚えのある文字が諸君を一挙にして記憶の大洋に投げ込むことのないように。

そしていつかは焼かるべきこの紙片を火の中に放り込んでしまうことだ。その紙片がすべて灰になってしまったら、更にそれを目に見えぬように粉々にしてしまうことだ。しからざる時は、諸君は取返しのつかぬことになる、私が一時間ばかり前からにッちもさッち足悶あがきがとれなくなってしまったように。

 

可能性や新鮮味のなくなった日々の生活に追い詰められていた「私」は、ふと、ずっと整理整頓していなかった机の引き出しを開けたものらしい。はじめ出てきたのは最近書いたどうでもいい内容のメモ書きばかりだったが、さらにその下から昔やりとりした手紙などの大事な文書の束が出てくる。とうに紛失していたと思っていて、存在すらほとんど忘れていたものだった。

 

若いころ亡くなった友人や、交際していた女性からの手紙を読んでいるうちに当時の記憶が詳細まで蘇って、みずみずしい感情を取り戻す。久しく「私」が忘れていた感情だった。感傷的な気分に浸りながら、一方でなんとなく不吉な気分がこみあげてくる。もうやめようと思いながら、机の中を最後まで漁ることになる。

 

最後に出てきたのは50年前、7歳になった日に母親に充てて書いた書付だった。

 

ボクノ 大スキナ オ母アサマ
キョウ ボクハ 七ツニナリマシタ 七ツトイウト モウ イイ子ニナラナクテハイケナイ年デス ボクハ コノ年ヲ ボクヲ生ンデ下サッタ オ母アサマニ オ礼ヲ云ウタメニ ツカイマス
オ母アサマガダレヨリモスキナ
オ母アサマノ子
ロベエル


 手紙はこれだけだった。私はこれでもう河の源まで溯ってしまったのだ。私は突然自分の残生おいさきのほうを見ようとして振返ってみた。

私は醜い、淋しい老年と、間近に迫っている老衰とを見た。そして、すべてはそれで終りなのだ、それで何もかもが終りなのだ! しかも私の身のまわりには誰ひとりいない!
 私の拳銃はそこに、テーブルの上にのっている、――私はその引金をおこした、――諸君は断じて旧い手紙を読んではいけない!

 

世間の人は大きな苦悶や悲歎を探し出そうとして、自殺者の生涯をいたずらに穿鑿せんさくする。だが、多くの人が自殺をするのは、以上の手記にあるようなことに因るのであろう。

(「モオパッサン短篇集 色ざんげ 他十篇」改造文庫

 1937(昭和12)年5月20日発行)

 

最終的に引き金になったのは、書きつけの束から出てきた7歳の昔の「何気ない書き付け」だったというのだから皮肉である。自分にも7歳の頃があった、という当たり前といえば当たり前の事実を突きつけられただけで、ラクダが最後の藁を1本置かれて背骨が砕けるかのごとく、主人公は最後の戦意を喪失してしまった。

(話はちょっと逸れるが、子供の書いた稚拙な文章というものには独特の残酷さというか破壊力が立ち上がってくる場合がある。

 

夢野久作の「瓶詰の地獄」でも、無人島に漂着した兄妹が書いた「オ父サマ。オ母サマ。ボクタチ兄ダイハ、ナカヨク、タッシャニ、コノシマニ、クラシテイマス。ハヤク、タスケニ、キテクダサイ。」という最後の手紙が、島で起きた惨劇をむしろ生々しく想像させる演出になっていた。)

 

ドン底の気分でいるときはまだ大丈夫で、ふと心が軽くなったタイミングが危ない、とは同業者の間でも戒められるところである。当人の心理を解剖すると、どん底の気分をしばし忘れて、「ちょっと懐かしさに包まれた」先にこそ、今やそれが失われた曠野のようなざらついた現実が再び、よりくっきり迫ってくるのだろう。

 

この作品の恐ろしいところは、結局最後まで主人公の男が自殺した本当の原因は定かでないことである。「気づいたらそのような状況に追い込まれていた」以上の書きようがない。

妻子がいたが別居でもしていたのか、独身だったのかは書かれていないが、生活にもゆとりがあり社交も最後まであったらしい。周囲の人間からみて、自死を疑わせる予兆にも乏しかったという記述も添えられている。もし彼が成り行きで精神科医と面談する機会があったとしたら、まず「へぇ、お手並み拝見」な態度以外示しようがなかったのではないか。

 

そもそも自殺とは何か。縊首、投身といった明らかな自死のケースのみならず、診断書の上では病死でも、実質は緩慢な自殺としかいいようのないケースを同業者であればけっこう経験しているはずである。亡くなった人は多くを語らないし、当人すら自分の内面で何が起きているのかをうまく説明できないものだから正確な統計も取りようがない。が、事実上すでに精神は自死していたようなケースともなると一般に考えられているよりもっと多いのではないか。

 

極言してしまうと、この世のざらついた現実が人間を幅広い意味での自死に誘うようにできているのかもしれない。大半の人間は少しずつそうなって生命を消尽してゆくのだが、一部の不運にもエラーで足を滑らせた人々だけが「明確な」形での自殺として計上されているのではないか。

 

当人にも最後のポイント・オブ・ノーリターンがどこであったかが分からないので、周囲は予見や予防が難しいのではないか...とこの話はどこまでも広がりかねない危うさを孕んでいるが、なんだかこの文章自体が関わった人間を自死に一歩近づけるような、遺書めいた雰囲気を帯びてきた自覚があるので、この辺で擱筆することとする。