ねずみのすもう

精神科医のねずみ

溺死しかけたこと

小学校2年生くらいのとき、プールで溺れたことがある。

夏の日のことである。

小学生にとって、プールというのは祝祭的な楽しみだった。わたしの通っていた公立小学校では、練達度を階級で表すようになっていて、なにかの目標をクリアするたびに水泳帽に達成度を示す「線」が縫い付けられた。10m泳げると白線2本。25m泳げると黒線一本、といった具合に。

わたしは黒線1本を達成したばかりではしゃいでいた。小学生の授業としてのプールには、「自由時間」というものがある。文字通り自由に遊んでいい時間で、先生が直径数mはあろうかというデカいビート板を放り込んでくれ、子供たちはそこに群がって歓声を上げていた。たぶん私もそれに交じっていたのだと思う。ふとしたはずみでわたしはビート板から落ちた。苦笑して這い上がろうとしたとき、プールの底に足がつかないことに気づき動揺した。今思うと学校のプールは、25mのゴールに近づくにつれ次第に深くなっていて、まだ幼かった私はプールの全体の構造を理解していなかったのだと思う。大人から見ると箱庭みたいな小さな学校のプールにも、子供にとってはそういう想定外の「魔のテリトリー」が存在するのだ。動揺するともうだめで、25m泳げたはずのわたしは水を飲み沈み始めた。

 

たしかわたしは水面から辛うじて顔を出し「溺れた!」「助けて!」と声を上げたのだと思う。しかし皆、自由時間に熱狂していて誰一人わたしの異状に気づかなかった。わたしはプールサイドに目を向けた。授業監督のF先生がいた。先生なら何とかしてくれると思い再び声を上げたが、先生は子供たちが楽しんでいる様子を満足げに眺めているだけで、やはりわたしに気づかなかった。F先生は50過ぎのやや小太りな女性の先生で、クラスは持っておらず、年代的には教頭くらいなのだろうが教頭でもなく、専門の科もなく、今もってなおポジションが謎の人である。妙に慇懃な口調で子供たちに接する。たまに例え話で訓話めいたことをいうが、あまりにたとえが下手過ぎて何を言っているのかわからない。気分ムラもあって、目についた生徒を突然口汚く罵りはじめ、わたしたちを唖然とさせる。ズレた人だったなあ、というのがいまに至るまでの個人的な感想だが、こういうひとはやはり肝心な物事を見ていないものである。

 

溺死の苦しさの半分は、必死で呼吸をしようとするそのタイミングでさらに水が肺に注ぎ込まれる刹那の、その絶望感だと思う。ふと観念した。ああダメだな、もう。よく知らないけど、人間って大人になって結婚して子や孫に囲まれて老人として死ぬもんじゃないのか。まだ7歳なのに。みなが楽しくはしゃいでる中、自分ひとりなんでこんなバカな死に方をしなきゃならないんだ、と怒りと悲しい気持ちでそのまま沈んでいったとき、たしか視野が霞んだかと思うとキラキラ光る「大きな仏様」みたいな影が見えたと思う(これは後になって修飾された記憶かもしれない)。いや、まだ俺死にたくないんすけど、あの、お迎えでしょうか、と思った瞬間、わたしは二本の太い腕でがっしり抱きかかえられた。学年で一番背の高い、小柄なわたしからすれば闘牛のような体躯をもったTだった。

 

Tはわたしが溺れる真似をしてふざけているのだと思ったらしく、苦笑してわたしを抱きかかえ、そのまま悠々とプールの浅いところへ運んで行った。わたしはプールサイドに上がり、水を吐きながらしばらく茫然としていた。さすがにもはやプールに入る気は起らず、そのあとどうしていたかはあまり記憶にない。

なぜ俺が溺れたのに気づかなかった。一体お前は何を「監督」しているのか!とF先生に喰ってかかるわけでもなく、助かったぜ、ありがとう!と感激してTの手を握ったわけでもない。溺れていたんです、と誰かに弱弱しくでも伝えた記憶もない。すべてが仕組まれ、予定調和的に運ばれた感じがして、とにかく茫然とするしかなかったのだと思う。

Tがいなければ、まちがいなく翌日の新聞に小さな記事で「7歳児童、学校プールで溺死」と報じられたに違いない出来事ではあった。

 

その後、プールがトラウマになってしまい二度と入れなくなった...というわけではない。何事もなかったように毎年夏になるとプールを楽しみにしていたのは我ながら不思議である。それを境に人生観が変わった、ということもない。今なお、べつに水は特に怖くはない。

 

いったいあれだけの事件を、自分自身がどう受け止め流したのか今もって分からない。子供の世界観というか、時間の流れの感覚は不思議なものである。しかし、あのときわたしを助けてくれたTの二本の腕のガッチリとした感触ほど頼もしいものは、その後の人生でもなかったかもしれない。Tは3人兄弟の一番上で、病弱な母親に代わって早くから一家の面倒をよくみていた。普段は泰然としているが怒ると暴力的なところもあり、今思うと、北斗の拳に出てくる「山のフドウ」に近いキャラクターだった。小学校を卒業した直後、母上は亡くなられたときいた。天才肌でとにかく飲み込みが早く、勉強のよくできるやつでもあり、その後名門私立大に進んで理工学を修めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

パワハラ考

最近、職場でのパワハラ抑うつになり当科を受診する患者さんがとても多い。といっても、現場を見ていないのでパワハラと断定するのは難しく、パワハラの定義とは...という込み入った議論には迂闊に入り込めない。厳密にいえば労基署などの管轄になるのかもしれない。ともあれ、職場において何らかの「攻撃」に遭って閉口した経験はみな一つや二つは心当たりがあると思う。

 

わたしも初期研修医時代、たまたま席が隣だった同僚に、机の上に脱ぎ散らかしたズボンを置かれる、といった地味な嫌がらせを受けて困惑したことがある。推測するに、精神科などという(脳外科志望の彼にしてみれば)志の低い科を志望している輩には、相応の態度を示さねばならない、みたいな心理があったようだ。

ところが皮肉なことに、その後彼が同期の中で断トツで仕事ができないことが判明すると、そういった嫌がらせめいた行為は自然に止んだ。あいつマジだせえよな、みたいな空気が醸成されると、自尊心を失った彼はあっというまに元気を失くしたのである。今度は逆にわたしに媚びてくるようにすらなった。さすがに怒る気すら起きなかった。

 

彼は単なる勘違いした仕事のできない男だったから大した厄災にはならなかったが、いま思い出しても冷や汗がでる人物がほかに一人いる。ものすごく頭のキレるシニアレジデントで仮にAとしておく。

 

Aは、はじめはわたしの指導係として親切に接してくれた。カンファレンスで研修医をボコボコにやっつけるのが趣味みたいなヤバイ人だから気をつけろ、と先輩医師から申し送りはあったものの、たしかに鼻っ柱の強さはありそうだがそこまででもない、というのが感想だった。お前は面白いやつだから合コンに連れて行ってやる、とも言われた。しかし、自分ならうまく付き合えそうだ、と気を緩めたのが運の尽きであった。彼の親切さはたんなる「観察期間」だったことが後で判明する。

あるとき、病棟で患者の頓服を処方するという雑用が発生したとき、折悪しく一番下っ端のわたしが不在だったため、たまたま居合わせたAがそれをこなした。これが彼の逆鱗に触れたらしい。「優秀なオレに雑事を押し付けるとは何事ぞ」というわけである。伏線はいろいろあったには違いないが、この日を境にAは一気に攻撃的な姿勢に転じてきた。

 

それまではカンファレンスでも答えに詰まると助け船を出してくれたり、なにくれとなく世話を焼いてくれたのに、些細な言い間違いなどをあげつらって罵倒してくるようになった。診断の根拠を質問し、こちらが答え始めると「あ、ごめんいいや」と薄笑いを浮かべながら遮る。

 

抄読会(医学論文を読んで発表する会)の当番にいきなり指名され、1週間ほどの準備の末、選んだ英語論文を発表しようとしたら、開始30秒で「聞く価値がない、やめろ」と怒鳴られ、部屋から退室させられたこともある。

相手に何かを準備させた上で、それをせせら笑い一瞬でちゃぶ台返しをする。精神科医で神戸大元教授・中井久夫の「いじめの政治学」によれば、いじめで相手の心を折る常套手段である。「内容以前に、お前という人間の行動自体に価値がない」というメッセージを植え付けるわけである。医師でブロガーのfujipon先生が「世の中には天性のイジメ上手がいる」というエントリーを書いているが、まさに彼がその一人だっただろう。なまじデキる人なので、上級医たちも困惑するばかりでストッパーにならず、今思い返しても地獄の数か月が続いた。仕事中も胃薬が手放せなくなった。

 

しかしわたしも執念深い性質である。せいぜいローテート期間を終えるまで頭を垂れておとなしくしていればよかったものを、ここまでコケにされて黙っておられるかと思いつめた。あるカンファレンスのあと、本人に直談判に行った。さきほどあなたはこういうふうに僕を罵られたが、あれが教育的指導ですか。僕は萎縮し続けで、あなたという人が恐ろしい、とまずは嘆願口調。ちなみに勤務交代中のナースステーションで本人を捕まえて話しかけたのであり、しっかりギャラリーも意識していた(ナースはおおむねAに反感を持っていたため、場の空気としてはこちらに有利になると踏んだ)。

日頃の彼の威勢からして逆上してボコボコに反論されることを覚悟していたが、なんと意外にも気弱そうに「え、いきなり?」「ちょっとこれからほかの用事があるから...」とその場を立ち去ろうとしたのである。これには拍子抜けした。

(パワハラをおこなう人間は、パワハラを行う「場」をしっかり選んでいるのではないかと思う。Aの場合、自分の得意とする弁舌をふるえ、多少後輩を痛めつけても「教育的指導」などとごまかしやすいカンファレンスの部屋がそれであった。「場」を離れたとたん、彼らは大人しくなる傾向はないだろうか。)

それはともかく、意外に引き気味の相手にこちらはたたみかけた。いいえ行かせません、あなたも教育係なら僕に真剣に向き合ってください、僕の何が気に入りませんか。ご指摘があれば改めます。とまくしたて、しばらく応酬があった。

最後はAは「君に心的外傷を与えたのなら謝罪します。今後はもう関わらなければいいですよね?」と薄笑いを浮かべて去った。あくまで精神的優位を示しつつ、けっこう内心は動揺していたのではないかと思う。しかし、なーにが「心的外傷」だよ。なんでこの手の奴って内心動揺するといきなり理屈っぽい丁寧語になるんだろうな。翌日Aは大幅に遅刻してきて、部長に叱責されていた。睡眠が乱れたのか、やはりAはAで、私とのやりとりがそれなりにショックではあったようだ。

 

とりあえず今後はもうパワハラ的言動を行わない約束を取り付けたのだから、ひとまずこちらの勝利である。実際、その後Aは徹底して私を無視し接触を断つ態度に出て、あからさまな罵倒や嘲笑は止んだ。とはいえ、明らかに関係の悪い人間と同じ空気を吸い続ける状態は変わらなかったわけで、不快感が尾を引きはした。スカッとジャパンみたいな結末はリアルではないものだ。

 

その後も幾多のハラスメント的言動を経験したが、これにくらべるとどれもショボいものだったため耐えきれぬほどではなかった。いくつかの考察を加えると

 

・ハラスメントを加えてくる人物が単なる勘違い人間なら自爆して終わるが、それなりの実際の優位性(仕事ができる、地位が高いなど)をもっている場合は厄介である。

はじめはサービス精神旺盛な感じで振舞ってくることも多いので要注意。気分ムラのある人物は、ふとしたことで機嫌を損ねると攻撃に転じてくる。「かつては優しかった時期もある」ため、被害者が罪悪感を抱きやすいのも重要なポイント。

 

・被害者に原因はないわけではないが、そもそもターゲットは職責上の地位など「単なる肩書」によって選ばれることが多い。旧日本軍の新兵いじめよろしく、人間をまず「階級」によって識別するのがかれら加害者の特性である。また、彼らもあまりに格下の相手は視界に入らないので、「ちょっと下だが自分を脅かし得る」くらいの相手を選ぶ傾向がある。

病院における初期研修医、看護実習における看護学生、新人看護師など、そもそも「ターゲットになりやすい地位」というものがある。そうした場合、自分の何が悪いのか、などと思いつめないほうがいいかもしれない。後年、こちらが偉くなると彼らはコロッと態度を変えたりする。

 

・孤立しないこと。加害者との1対1関係に持ち込まれると身動きができない。加害者になるような人物はすでに悪評が立っていることも多く、淡々と事実を周りにつたえ相談しておくことで逆に「包囲網」を作れることもある。直接加害者を止めてくれなくても、ギャラリーの同情をなんとなく引いておくのは効果的である。こちらが逆切れしたら意外におとなしかったAは、自分が周囲に白い目で見られ始めている空気を察知しており、すでに一歩引いていた可能性が高い。

 

・記録をとる。ハラスメントと叱咤の区別は難しいが、「てめえ」「殺す」などの暴言、また職責そのもの・容姿・学歴・家族・出身地のことまであげつらって嗤うような発言はまずハラスメントとみなしてよいだろう。日時場所の記載を明確に。場合によってはボイスレコーダーによる録音もやむを得ないかもしれない。(豊田真由子の事例)。

 

 

・新人いじめの風潮があったり、ハラスメントを許容する風土の「空間」というものがある。たしかに優れた人材が厳しいシゴキから生まれることも多いが、潰されたら元も子もない。そういう場はあらかじめ避けられれば避けるに越したことはない。

 

・加害者もまた孤独である。逆説的なようだが、加害者というのは人一倍「被害者意識」をもっている傾向がある。ひとの何倍もの苦労をしてきたのに報われない、どいつもこいつも内心オレを/わたしを馬鹿にしているだろう、というゆがんだ世界観が根底にある。加害者自身、かつていじめを受けた体験があったり、世界への絶えざる意趣返しの欲望を隠し持っていたりする。

「オラオラ、ハラスメントするオレ/わたしTSUEEEE,サイコー!」などと思っている人は案外いない。いたとしたら正真正銘の馬鹿であり、そもそもパワハラし得る地位までたどり着けない気もする。本人の主観では、自分こそ相手に「遠まわしなやり方で」攻撃されているなどと思い込んでいることもある。侵略戦争でも、やっているほうは自衛だと言い張るのが歴史の常である。

 

・話は逸れるが、精神科医春日武彦によると、ストーカーというものは殺人事件など破局的な事態につながる事例はごく一部で、「ある日突然終わる」ことが多いという。加害者がなぜか「被害者意識」をもっている、度を越した執拗さがある、という点でストーカーとパワハラはよく似ていると思う。とすれば、パワハラも何かのきっかけでいきなり終わることが多いのではないか。

私のケースも、周囲に相談したり、ついには我慢しきれなくなって相手に嘆願したり、ともがいているうちに、いつしかグダグダになって収束した感がある。スカッとジャパンみたいな痛快なエンディングはまずないが、「よくわからないうちに止んだ」というのが実感か。被害者はやはり釈然としない気持ちを長く引きずるようではあるが。

 

...と、書いていて、我ながら外資や金融などの「ガチのシバキ上げ」に比べたらヌルい経験しかしていないな、と思う。

 

そもそも加害者が怖すぎてだれにも相談できなかったり、加害者が複数で多勢に無勢だったりした場合、もう打つ手がないこともあるだろう。社内のハラスメント相談窓口の責任者が、当の加害者だったみたいな笑えない話もある。

 

日中の動悸や不眠が出たら精神科を受診するのも手である。医療機関にハラスメントを解決する力自体は乏しいが、何らかの助言は受けられる。ちなみに、病院でしか本人を診ていない医師が因果関係を立証するのは困難なため、「ハラスメントが原因でこうなった」という診断書は書けないことが多い。が、とにかく現状の困難を医師に伝える、言語化するだけで、八方ふさがりになっていた気持ちの余裕を取り戻し、行き詰まりを打開するきっかけにはなるかもしれない。すこしの投薬で動悸や過呼吸をおさえたら冷静な行動がとれるようになり、ハラスメントが「止みはしないものの少なくなってきた」事例がかなりある。

 

どなたかの参考になれば幸いである。地球人類が平和でありますように。ねずみいじめないでね。

 

 

 

 

 

 

 

 

ヒットの法則

 鬼滅の刃が大ヒットである。この作品、ファンの方には大怒られが発生しそうなのだが、まだ5巻くらいまでしか読んでいない。ちょっと前に銭湯行ったときに休憩ルームに置いてあったのを読んだまでである。読み始めて、まず「大正時代というが大正何年なのだろう...。第一次世界大戦は始まってるんだろうか」という素朴な疑問を抱いた。

そうこうしているうちに刀を抜いた大立ち回りが始まり、鬼殺隊なる、すごい強いんだけど感じ悪いひとたちが現れ、ああこういうの、入学直後のちょっとクールぶった大学同級生の雰囲気だな、と苦笑いし、女体化した無惨様が現れたところで過去のトラウマが噴出して読み進められなくなった。怒るとほんとうにこういう表情になる女性がいたのである。

 

恐ろしくなっていまのところ逃散中のわたしが言うのも滑稽だが、たしかに人の心を揺さぶる何かがあると思う。

「大正時代」という、明治と昭和のはざまにある時代設定も絶妙だった。電気ガス水道など、インフラが家庭にも普及して「現代的生活の雛形」ができた時代。竹久夢二高畠華宵美人画の巨匠が筆をふるい、現代のネット自撮りにも通じる「どこか退廃的な美人像」の原型ができた時代。

現代から遠すぎず近すぎず、適度な距離感でいろんな想像をつめこみやすい時代に設定したのは作者の慧眼である。まだ先を読んでないけれど。

 

ヒット作品について毎回不思議になるのは、ヒットになるか凡作で終わるかの分岐点はどこにあったのか、ということである。

 

世に出た当初は話題沸騰というほどでもなく、数年のタイムラグを経て爆発的に広まるのがヒット作あるあるで、作者自身がフィーバーを予測していなかったことも多い。それどころか、書き始めたときは「もう後がない」状態で、ダメ元で出したらなぜか救われたパターンも多いのではないか。ドストエフスキーがデビュー後は鳴かず飛ばずで、ヤケになって反体制運動に身を投じてシベリア流刑になってしまい、10年ののち文壇に復帰してから「罪と罰」などの大作を次々発表したように。

鳴かず飛ばずだった時期にいろんな「厄」を払い終えたからこそ最後にホームランを打ったのであり、人間大成するには必ずダメな一時期を経なければならないのではないかとも思う。流血と死臭のたちこめる本作、やっぱり怖いのでしばらくは読めそうにないが。

 

 

 

 

 

人文学に関する雑感

以前のエントリーにも書いた気がするが、もともと英語と日本史・世界史など文系科目が得意だった。人間のタイプとしても、エヴィデンス主義の現代の医者というより人文学者寄りだと思う。医学部に進んでも、「なんでお前、文系に行かなかったんだ?」と訝しがられたこと再三である。

理由としては

・いくら文系が好きといっても、人文系のアカデミアのポストはすでに先達で埋まっており何のコネもない私が食えるわけもないこと

・実家もそこまで太くはないこと

・医学部卒業しつつ「オレじつは人文系が得意だったんです」とか言えばなんか人間として厚みが出せるんじゃないか、という下心があったから

 

である。ウザいやつである。

もちろん現実はそこまで甘くなかったのであるが、他方、人文系アカデミズムの世界というもの自体に、なにか思想の硬直性を感じ、中に入ってしまっては自由な研究などできなくなる予感があった。逆説的だが「自由な人文学徒」として振る舞うためにも医者になったほうがいいのではないか、と考えたのである。

 

人文学について何の意味があるのか、所詮は趣味じゃないか、不要だ、みたいな意見があるが、人文学そのものは社会にとって必要不可欠なものだと思う。

 

人文学というものの定義そのものが難しいが、西欧の人文学の場合、神学に凝り固まって学芸の自由を認めなかった中世カトリック教会へのアンチテーゼとして発展した経緯がある。ジョヴァンニ・ボッカッチョの「デカメロン」の艶笑譚にみるように、人間本来の滑稽さをも素直に見つめ、まあ固いことは言わずに下世話な話をしようぜ的な...

人文学には、社会が何か硬直した価値観に支配されようとしているとき、それを相対化・戯画化してギャグを飛ばすような痛快さがあったはずなのである。今では荘厳な雰囲気で崇められているルネサンスの知識人や芸術家は、今でいえば意外に炎上系のツイッタラーみたいな人たちだったのかもしれない。

 

昨今の情勢をみるに、人文学がオワコンになったというより、人文学を掲げている大学の偉い先生(のうちでもメディアによく出る)の言っていることがコンテンツとして痛快さがなくなった、ということだと思う。

実際は学内のゴタゴタや学生の就労支援、保護者のクレーム対応など見えない苦労もあるだろうに、恵まれた出自で好きなことを追求しつつ文化貴族みたいなポジションからの「反体制しぐさ」イメージを与えてしまっているのが甚だ不味い。

一方、SNSでは在野の人文学者...おそらく政治的な理由で従来アカデミアの世界では冷遇された...の活躍が目立つようになってきた。彼らは適度に親しみやすいキャラを作りながら自らの意見を発信する手法が巧みである。

 

ここまで書いてきて思ったのが、キーワードは「親しみやすさ」ではないだろうか。親しみやすい人文学はこれからむしろ栄え、サブカルチャーにも影響を与え、you tuberのネタにもなり、ネットを通じてどんどん拡散してゆくだろう。かつて活版印刷の普及から俗語訳の聖書が広まったように。そんなものは最早学問ではないと怒るか、広義の人文学の勝利だと言祝ぐか。ちょっと前までは、大学の先生方頑張ってくれ、と思っていたが、最近はこういうのも時代の流れだなあと感じる。こうした昨今の風潮は寂しく、しかし同時に頼もしく思う。

 

 

 

 

 

 

「教養」についての雑感

現代ほど「教養」という言葉がときに称揚され、時にpgrされている時代はないのではないか。

 

ときは明治大正・旧制高校のエリート教育華やかなりし頃、「教養」はステイタスであった。学生は古今東西の著書を読み漁り、ちょっとイイ感じになった婦女子を「Mädchen」と呼び、森鴎外の「雁」でみるようにいきなり「Silentium!」と叫ぶなどドイツ語、ラテン語にも通じていた。あるいは通じている風が良しとされた。ドイツ浪漫派や、時代が下ってトーマス・マン、ヘッセあたりの大河小説を読破することが人格の陶冶につながるとされ、そうした雰囲気のもと過ごした人々はいずれ有為の人材としてしかるべき待遇を与えられた(らしい。わたしの生まれる半世紀以上前の話なのでよく知らないが)。

 

こういう、古今東西の古典や語学に通じることが知的人種の証でありカッコイイという風潮は、戦後の1970年頃の学生運動まで続くこととなる。実際、ギリギリ学生運動体験者くらいまでの作家の文章を読むと、ボキャブラリーの豊富さといい、古典からの引用の多さ、読んでいて引き込まれそうになる文章の香気といい、それ以降の作家とは明らかに断絶がある。おそらく読書量がまるで違う。たしかに「教養」は、批評活動を豊かにし、青少年を勉学に目覚めさせるのに一定の功績があったのである。

 

その後の「教養主義の凋落」については語るまでもないと思う。要は「イケてる」の基準が、おそらくは学生運動の退潮と経済成長につれて急速に変わったのである。価値観はどんどんポップでライトになった。

 

私が物心ついた平成の初期ころはバブルの真っ盛りで、たまたま観たテレビでは半裸の姉さんがお立ち台で踊っていた。小難しい言葉を使う文化はどんどんダサいものになり、バブル崩壊後もつい最近まで、「教養」などという言葉は死語に近かった気がする。

 

それが最近、成長が頭打ちになって中間層が崩壊、これからは人間の評価軸が「育ち」「文化資本」といった生来のものになる、みたいな感じになって、突然「教養」という言葉にスポットライトが当たった感がある。

 

本屋にいっても最近はやたら教養を前面に押し出した本が目につく。生活や資産を守るためのキーワードとして、ふたたび教養という言葉が復権したかのようだ。

 

しかし令和の時代になって、いまさら教養とは何だろうか。旧制高校の生徒が「ああ玉杯」を歌い、栄華の巷を低くみていた時代は遠いむかしのことである。

 

英語が最低限話せて、プラトーン以来のリベラル・アーツに習熟し、すべての年代や国籍の人と一通りの会話ができる「人間の幅の広さ」だろうか。単に知識が豊富なだけでなく、引き出しの多さが一種の「凄み」みたいなオーラとなって放散され、まわりがタジタジとなってしまう人物像だろうか。

 

じっさいそんな人物がいたら感嘆したくなる反面、TPOを間違えると、鼻持ちならない嫌な奴になってしまいかねない危うさもある。実際、最近あった某政治ニュースみたく、ひとに向かって「教養がない」とかいっちゃう人を見ると、教養とは...というお気持ちになってしまう。

 

皮肉なことに、教養が見直されつつある一方、いわゆる旧来の文化エリートでありながらへんな発言をする人が目につくようにもなったのである。昔の中国王朝の「腐儒」に近い感じだろうか。おのれの学識を誇り、嫌いなひとをdisることが主目的になった瞬間、「教養」は一気に腐臭を放つのである。

 

ところで中島らもは、教養とは「一人で時間を潰せる能力のこと」という言葉をのこした。

また、中島つながりというわけではないが、同世代のシンガーソングライター、中島みゆきの「勝手にしやがれ」(1977年「あ・り・が・と・う」収録)ではこういう歌詞がある。

 

部屋を出て行くなら
明かり消して行ってよ
後ろ姿を見たくない
明かりつけたければ
自分でつけに行くわ
むずかしい本でも読むために

 

ギリギリ学生運動時代の若者の淡い恋をえがいた歌だろうか。

キレ気味な題名とは裏腹にまったりした明るい長調だが、全体的にアンニュイで、別れの気配がうかがえる曲である。

 

 「むずかしい本」とは、なんとなくショーペンハウエルとかデカルト、あるいはマルクスマックス・ウェーバー、文学書ならドストエフスキー高橋和巳とか埴谷雄高の「死霊」あたりな気がする。反体制にかぶれた男は、日夜こういう本から得た知識やフレーズをさかんに用いては地下喫茶で仲間とダべり、女も細かい知識に興味はないものの雰囲気に惹かれて付き合ったのだろう。

 

さすがは国民的歌手の詞というべきか、男女のすれちがいとともに、若い時代の終わり、虚無感、いろいろカッコつけてはみたものの中味は空っぽにすぎなかったという自嘲めいた複雑な感情が「むずかしい本」というワードにみごとに集約されている。

 

ここでは、半裸の女の子がボロアパートの部屋で男を見送る、どこか間の抜けた淋しいシーンにおいて、「教養」がちっぽな小道具として無造作に転がっている。

教養とは本来孤独で、ちょっと恥ずかしい小ネタに近いものかもしれない。

オイディプス王

精神科医がネット上で期待されている役割のひとつは、ホロっとくるような「落としどころ」のある、自己啓発的な話をすることだろうと思う。

 

しかし、この手の話は語り手がある程度美男美女でないと説得力がなくなったり胡散臭くなってしまうきらいがある。あるいは、酸いも甘いも噛みわけた苦労人としての来歴があり、存在自体に「なにやら後光がさしている」必要がある。いずれにしてもわたしのガラではない。

 

いきなり話が飛ぶが、古代ギリシャの悲劇詩人・ソフォクレスの代表作にテバイ王家の骨肉の争いの序章を描いた「オイディプス王」というのがある。

 

序盤では威風堂々とした若きテバイ王・オイディプスが、「出生の秘密」が明らかになったことにより、終盤では打ちひしがれて自ら両目を潰し、痛ましい姿を一気にさらけ出すという話である。

 

オイディプスが、縊死した王妃イオカステの亡骸から髪飾りを抜き出して自らの目に突き刺す描写は読んでいてうすら寒くなる。

(直接の描写はなく、王妃の縊死とオイディプスのすさまじい自傷は「報告者」によって語られる)

 

王さまは、イオカステさまが着物に付けておいでになりました金細工の留め金を引き抜かれ、それを高々と振りかざされました。

そして、「この両目よ、お前たちは、獣にも劣ることをしてしまった不幸なわしを見てくれるな。見てはならぬ人を見ていたくせに、知りたい人を見分けることもできなったお前たちなど、これからはもう、闇の中にいろ。」と言うが早いか、そのご自分の両目を、留め金でこうしてお突きになられました。

 

それも、一度ならず二度三度と、そんな嘆かわしい言葉を叫ばれながら、留め金で両目をお突きになられたのでございます。

 

目の玉からいちどきに噴き出してきた血は、あごひげを濡らしましたが、その物凄さは、もう血のかたまりとなってしたたる雫などというものではなく、血の雹が黒い豪雨となって降ってくるようでございました。

 

...今日この日には、悲嘆、破滅、死、恥辱といった、忌まわしい名前の付いたありとあらゆる災いで、ここにないものは何ひとつございません!

 

いや、まだこのように叫んでおいでになることでしょう。「誰か、戸を開いて、カドモスの民すべての前で、このわしをさらし者にしてくれ。この父親殺しの男を、この母親の ・・・。」 

 

ああ、もうこれ以上、わたくしには、神を穢すような言葉は言えませぬ!

 

人間の本質的な脆さ、一皮むけば地獄に転ずるこの世の恐ろしさを描いた作品が、2500年前にすでに戯曲化されていたのは驚きである。近世日本の船乗りは、海の恐ろしさを「板子一枚下は地獄」と端的に表現したという。どんなに権勢を誇った王でも過去の事跡が明らかになった瞬間あぼーんであり、屈強な海の男も舟板が抜けたが最後、海の藻屑である。

しかし見方を変えれば、こうした悲惨さ、グロテスクさこそ人間を人間たらしめる母体である。そもそもこの娑婆の世界は地獄みたいなもんであり、諸行無常、我が世の春を謳歌するひとも明日の日は確かならず、一転して地獄の業火に包まれ得る、という諦念がかえって人の心を軽くすることもあるのではないか。

 

しょうもないブラックネタを描いたり、人間の自意識についての陰鬱な文章を書くときわたしの筆は生き生きとする。イケてることを言うのはイケてる人に任せて、わたしは開かずの間から夜な夜な聞こえる念仏みたいな不気味な文章をこれからも書き続けたいと思う。

 

 

 

ツイッター考

早いものでツイッターを初めて2年余りが過ぎた。

当初のツイートを見てみると、新人特有の生真面目さと鯱張った様子、つぶやいても何の反応もない虚しさ、なんとかフォロワーを増やそうとしていた様子がうかがえてほほえましい。ここいらで自らの2年余りのツイッターライフを振り返ってみようと思う。

 

①始めた動機

込み入った私事に絡んでくるので、くわしくは書けない。精神科医でありながら、開始当時のわたしはかなり「病んでいた」(もともとパーソナリティ障害の気があるのは否定しない)。病んだ魂が、同じくほのかに病める魂との交流を求めてネットの草むらに分けいったのである。それ以上でも、それ以下でもない。

 

②はじめてのクソリプ体験


当初は呟いてもあまり反応もなく、フォロワーもつかなかった。有名なアルファ垢に絡みにいっては無視されたりしながらも、なんとなく同行の士を見つけてはぼちぼち楽しんでいた。そんな最中、例の「日大アメフト部タックル事件」が起きた。

 

体育会にちょろっと所属していたことがある身としてはなかなか複雑な気分にさせられる事件である。体育会というのは、傍から眺める分には儀礼を重んじ「ウっス!」みたいな、気は荒いけど根はいい奴ら、というイメージを抱かれやすい。

実際、そういう人材も多いのだが、過酷な練習の日々を送るうちに心も荒みやすかったりする。青春、歓喜!みたいなイメージとは裏腹に、人間のグロテスクさが析出しやすい場面もあったりするのだ。

 

そういった個人的な体験をツイートしたら、「それはアンタが万年補欠だったからじゃないですかねぇ。プレーの上手いやつは青春を楽しんでましたよ。雑魚乙ww」みたいなリプがついた。

いや、弱小チームとはいえレギュラーだったし、レギュラー獲得に至るまでのエグさを書いていたのに日本語読めないのかなこの人…と思いつつ、アイコンや平素のツイート内容を掘ってみたら、「かつて高校くらいまではとある競技で県選抜くらいで鳴らしたが、その後の社会人生活で運動神経の神通力もいつしか失われワンノブゼムになってしまい、ツイッターで部活ヒエラルキー低位だと見なした相手に罵声を浴びせるのが唯一の趣味」...みたいな、グラウンドで歓声を浴びていた17歳くらいが人生のピークでそこから永遠に時が止まってるタイプの寂しい中年男性のようであった。

たった140字の文章の趣旨すら読解できないあたりに彼の凋落の原因がありそうだったが、そこにはこれ以上触れないこととして、これが噂に聞く「クソリプ」かとちょっと暗然とした。ツイッターの暗部の「とば口」に立った感覚がたしかにあった。

 

③バズる

それでもテキトーに呟いているうちにいつしかフォロワーが1000人を超え、そのうちバズり始めた。何がバズるかは予測ができない。製薬会社の勉強会を終えてスマホを開けたら通知が大変なことになっていて、何じゃこりゃ!?と戸惑ったことが数回あった。

バズってみて分かったのが、リツイートが1000を超えたあたりからこちらの文章を誤読ないし超越的読解をしているとしか思えないリプが増えてくる。ツイート内容に与野党の話は一文字も入っていないにも関わらず、なぜかわたしをネトウヨや安部首相信者だと勝手に想定したうえで罵詈雑言を浴びせてくる人が出てきた。知らんがな。しかも、バズった内容がほかのサイトでまとめられ、5chにスレッドまで立って、勝手な議論が始まっていることもあった。ほえー。ひとつの流言が尾ひれはひれをつけて広まってゆくさまが可視化されるのは興味深くもあり、恐ろしくもあった。

 

④5chで叩かれる

フォロワーが3000を突破して、やや目立ち始めた頃。

チー太郎とかいうカスゴミアカウントがキモすぎる、という書き込みが現れた。現在に至るまで、とても品行方正とはいえないスタイルでツイートしてきたのは否定しないし、不快に思う人がいるのは当然だと思う。実際われながらキモいと思うのだが、本人が反省してるんだからあんまりひどいこと書かないでほしい。そういえば最近は書かれてない。

 

⑤いろいろあった

自業自得とはいえ色々な方面から石が飛んできた。安部信者の烙印を押されたかと思えば、ネトウヨからなぜか左翼扱いを受けたり、最近では女性の敵みたいなことを言われてしまった。たしかに女性にあんまり優しくないけど一応既婚なんですが...。それにしても、ちょっとへんなことを言っていてみんなが遠巻きに眺めているような人をわざわざ批判してしまい、ものすごく怒られたり不利益を被る、というのは幼稚園くらいから変わっていない特性なので、三つ子の魂とはよくいったものである。

 

⑥結び

いつしかフォロワーさんが1万3千くらいをこえたが、日常生活にとくに変わりはない。ツイッターも長くやっていると結局はリアルの自身に近似してゆくので、ネットで何者かになれる、というのは幻想なのだろう。ツイッターは匿名性ゆえに、インスタやfbに比べて本音が出やすい面はあるが、ウケ狙いで発言が先鋭化したり嘘松も多いため、けっきょくはこれまた一つのフィクションだと思っておいた方が無難である。リアルはリアルでしか把握できず、有益な情報はこれまたリアルの知人がもたらすことが多い。ねずみいじめないでね。