ねずみのすもう

精神科医のねずみ

今夜は、月がいい。おれは三十年あまりもこれを見ずにいたんだが、今夜見ると気分が事のほかサッパリした。してみるとこれまでの三十何年間は全く夢中であったというわけだ。

魯迅狂人日記

 

古文の授業でやたらと「月」にまつわる文章や和歌が出てきた。

 

徒然草で、「花は盛りに、月はくまなきをのみ...」の段は当時は退屈だった。

 

「昔、男ありけり」の伊勢物語

月やあらぬ春や昔の春ならぬ わが身一つはもとの身にして

 

と詠んでさめざめと泣くシーンとか、男が失恋で泣くなんて古代人とやらは女々しいなと思った記憶がある。

 

伊勢物語を教えてくれた古文教師は、顔色の悪い・痩せぎすで背の高いアラサーの男で、何を語るにも別の何かを一々引き合いに出して貶す癖があった。

最初の授業では、開口一番、「俺は前の学校は態度が悪すぎてクビになった。普通の教師だと思わないことだ、個人的に反感を持った相手には生徒であろうとあらゆる手段で報復する」と宣言するなどとにかく無駄に感じの悪い人物だった。いったいこんな人が古典の情緒の世界にどう引き寄せられたのだろう、と不思議で仕方なかった。陰で真似されたりネタとして面白がられてはいたが、実際に彼を慕う生徒はあまりいなかったように思う。

そういえば、若いに似ずに左翼思想にかぶれていて、古文の授業なのによく昔の日本と天皇制の批判をしていた。左翼の歴史教師はありふれているが、「左翼の古文教師」となると珍しいかもしれない。個人的にさほど好意はなかったものの、なぜ日本の伝統が嫌いなくせに日本の古典を専攻していたのかちょっと興味はある。機会があればあらためて訊いてみたい気がする。

 

月にはじまる「自然」といえば、医科大に入ったとき、どういう文脈か忘れたが同級生が「俺さあ、自然が美しいと思ったことないんだ...」と語ったのになぜか深い共感を覚えたことがある。

18、9歳くらいのわたしが、芸術に描かれる「記号としての自然」が美しいものなのは理解していたが、実地のそれをみて心を動かされた経験がほぼなかったのは幸か不幸か。

中二病の名残で、古い国内海外の文学などは好きだったが、あくまで巧みな表現や語彙、「言い回し」が好きだったのであり、ハマればハマるほど「実際の世界への親しみ」はむしろ薄れていたのである。

 

わたしが自然の美に感動した瞬間があったとすれば、大学2年の夏にフラッと香川県の小豆島に旅行にいったときのことである。

 

岡山港からフェリーに乗って土庄に渡り、自転車で島を半周したのだが、道の右側に伴走しているかのようにずっと広がる瀬戸内海は異世界感があった。点在する小島が、ひょいと手が届きそうに思えるほどの塩梅である。こんな箱庭みたいな可愛らしい海があるのだなと思った。

 

なんとか灯台という見晴らしの良いスポットがあるときいて山の中に分け入ったが、どんどん森の中に迷い込むだけで迷子になりかけた。途中で、井戸と、それを囲むように藁ぶきの民家が数件点在しているような異空間が突如現れた。何十年も前に打ち棄てられた廃村だった。軒先に座り込みながら、ここで行き倒れるのではないかという不吉な予感がした。細い坂道をさらに登って行ったら、突然視界が開けて灯台と180度展望の海が見えた。沖をゆるゆるとタンカーが移動している。あれはよかった。

 

さて月である。考えてみると、古今東西の詩に歌われ、太陽とならんだ美と神秘の象徴とされながらわたしは月というものをじっくり眺めたことがなかった。

 

ふるさとは浅茅が末になり果てて月に残れる人の面影 (新古今・藤原良経)

ふるさとの小野の木立に

笛の音のうるむ月夜や

をみなごは熱き心に

そをば聞き涙流しき  (三木露風「廃園」)

 

作品の世界にある月は、夢の世界にぼんやりとあらわれる理想の女性みたいな手触りで迫ってくる。しかし生活の中で実物を眺めてみると一体こんなものがどうしてポッカリ空に浮かんでいるのだろう、という空虚な気持ちになる。朝方に傾きかかっている半月が、小学校の登校途中に眺めたらプラスチックの玩具みたいに見えたのを思い出す。

 

そういえば太宰治が「富岳百景」で、富士というものは実物は興ざめすることが多く、御坂峠から眺めた富士が風呂屋のペンキの絵みたいに見えた、と書いていなかっただろうか。わたし自身が都会っ子なこともあり、明るい都会のビル群の合間から見える月というのはあまり神秘性がないのである。

 

ところが、最近奥地の病院に勤めるようになってからのことである。

このブログやツイッターをはじめて5年、私自身の加齢に伴う心境の変化もあるのだろうが、ある当直の晩に、回診で病棟を巡回しているときに、建物の外に出て眺めた月はなにか凄みがあった。満月に近かったが、懐中電灯のほかはほぼ真っ暗のため、月の明るさだけが冷え冷えと辺りを支配していた。ほぼ暗黒の山と森林をコントラストに、月ってこんなに明るいものなのか、というのが新鮮な驚きであった。太古の人間は太陽や月、数多の天体をこうした「畏怖」に近い感情をもって眺めていたのであろう。そう考えるとじわじわと恐ろしい気持ちにもなってくる。ヨーロッパでも月光はときに人間をオオカミに変え、精神を狂わせる力を持つと考えられ、lunaticの語源ともなったのもわかる気がした。

 

(昔こんな月を誰かと眺めていたことがあったのではないか、それもうっとりした「月見」などではなく、なにか不吉な事情を間にもつ誰かと、抜き差しならない相談をするような状況で。

そういう夢を何度か見たことがある気がする。場所はやはり山奥だか土手だか、ひらけた草原に座り、相手は見知らぬ若い女である。わたしが言い訳がましく二言三言つぶやくと、相手は険しい表情でこちらを詰る。いや、「険しい」などというものではない、眉間に寄った皺がまるで老婆のように、全体の印象をぐにゃりと歪んで見せ、悪意だか憤怒だか悲しさだかがないまぜになった、マイナスの感情の塊が具現化した何かがそこにある。口調が激しくなるとともに、もとは透き通るように美しかったはずの・それが今やかえって凄惨な印象を増している青白い顔が徐々に近づいてくる。刻一刻と、張りつめた空気が充満する二匹の獣のような人間の様子を、満月が明るすぎる光を放ちながら冷たく見下ろしている...。)

 

冒頭に引用した魯迅(1881-1936)の「狂人日記」は、「精神病者の手記」の形をとりながら、中国の伝統社会の欠陥を指摘した名作とされている。医学部受験を決めたものの、じつはそうまで切実に医者になりたいわけでもない、モヤモヤした気持ちでいた15歳の秋に読んだ。心理描写にリアリティがあり、医者になるなら精神科と思うきっかけの一つになった作品だが、月に関する一文はなかなか示唆的である。わたしもできれば詩文の中で、いつまでも絹のような手触りの美しい月を愛でていたかったものだが、寄る年波がそれを許してはくれなさそうである。