ねずみのすもう

精神科医のねずみ

菜の花や

菜の花や、月は東に日は西に。春は菜の花、秋には桔梗。さみしいときは僕の好きな菜の花畑で泣いてくれ。葉の花畑に入日うすれ。春の季語として桜もいいがわたしは菜の花を推したい。わたしの勝手な感想にすぎないが、桜は狂気に通ずる。満開の桜を見に行くと、美しいことは美しいが、遠目に映る、あのみっちりした生命の横溢さ加減にはなにか不健全なものを感じる。食事中の方がいたら申し訳ないが、一瞬ウジがみっしりたかっている光景に見紛う。桜の木の下には屍体が埋まっていると評した梶井基次郎の慧眼を想うべし。その点、菜の花はまだ安心して見ていられる気がする。桜が狂気の美しさなら菜の花は涅槃の美しさだ。吸い込まれるような空の青さが背景だといい。菜の花の畑がそのまま海に続いているとなおいい。死んだら、あの化け物みたいな桜の木の下に埋められて養分として吸い上げられるよりは、菜の花畑にひっそり散骨されたい。