ねずみのすもう

精神科医のねずみ

老けたネズミについて

年の割に老けたことを言う、と小学生のころくらいから言われ続けていた。

 

声変りがはじまった中学生の頃には、家で電話をとると、話しぶりが妙に大人びているので父とよく間違えられたり、医者になってからもほかの病院の先生と電話でやりとりするとき「50歳くらいの部長クラスの人」だと思われていて、じつは後期研修医でしたと後で分かってびっくりされる、なんてことはしばしばだった。ツイッターでも、実年齢をほのめかすと毎回びっくりされる。

 

こちらとしてはふつうに喋ったり、素朴な感想を漏らしているつもりが、実年齢+20歳くらいの印象を与えるらしいのである。

 

私から見ると世の中の人が全体的に、年齢の割に妙に若い意識でいるように映るのだが、多勢に無勢、ちょっと変なのはこっち、という仕様にならざるを得ない。

(熊代亨先生が「若作りうつ社会」で、「若作り」の病理について解説なさっていたが、現代ではそのようなものの見方の方がまだマイナーだろう。みんな薄々自覚はしているかもしれないが)

たぶん見えている世界や時間の感覚が、平均的な世の感覚とはちょっとズレているのだと思う。それがプラスに評価されたことは正直あまりないが、もう「そういうもの」として生きていくしかない。世の中とわたし、どちらが正しいとか価値観として優れている、とかではなくて、双方ただ「そういうもの」なのである。

 

なんていってるうちに30代もそろそろ半ばにさしかかり、アラサーですらなくなりつつある。印象と実年齢がだんだん近づきつつあるということか。これはこれで、喜んでいいことなのかどうか。よくわからない。ちー。