ねずみのすもう

精神科医のねずみ

医者の生活

一族に医者はいない。厳密にいうと祖母の異母弟が某都内ブランド病院名誉院長(?)らしいが1回も会ったことがない。父はサラリーマンである。母方の祖母は看護師、シベリア出兵に参加した父方の曾祖父は獣医将校だった。もっとも勇躍して寒冷の地に乗り込んだもののパルチザンの奇襲に遭って部隊は壊滅、自身も凍傷で早々に戦線離脱したそうだ。現地でコサックから買った熊の毛皮がいまでも残っている。医療関係者といえばそれくらいである。

高校生のとき、唐沢寿明主演の「白い巨塔」が放映されていて、医者ってこんな感じなのか、大学病院で権力闘争して高級クラブでも心理戦を繰り広げて謎の愛人がいたりして大変そうだなと思った。さて、自身が医者になって10年あまり経った。感想としては、ドラマで描かれているのは一握りの出世志向のエリートさんの世界であり、一般の臨床医というのは「案外地味だな」というものである。

 

もちろん、タワマンにザギンでシースー、みたいな浪費家もいるのだろうが、親しい知り合いにそういう人はあまりない。医学部時代に部活などでつるんで今でも交流がある友人などはそろいもそろって消費にあまり興味がなさそうな人物ばかりである。学生時代は月3万5千円のボロアパートに住んでいた。上の部屋では生活保護アルコール依存症のオッサンが時折唸り声をあげており、隣の部屋では新興宗教の集まりがあって五月蠅かった。自炊をはじめたが、あまりに味にこだわりがなく、近所のスーパーで竹輪とキムチだけ買って日々を過ごしていたら謎の倦怠感に見舞われた。微妙な栄養失調だったのだろう。のちに結婚を見込んで同棲先の新居に引っ越したとき、荷物が段ボール6箱しかなかったほどモノにこだわりがなかった。一時、大人の嗜みとしてワインに凝ろうとしたが、「赤玉」、せいぜいアスティ・スプマンテ、ドイツのリースリンクが一番おいしいのではないかという結論に落ち着いた。これまで一番美味しかった食べ物は、子供の頃はじめて食べた回転寿司。小学生レベルの味覚である。味に一切の注文がないので家族からは喜ばれているが。

 

最近「医師として王道で勝つタクティクス」という本を書いた先生がいた。年齢的にほぼ同い年なのに凄いと思う。わたしにとってのなりたい「医者」のイメージは、渡米したり最先端の医療にかかわるエリートというより、カフカの「田舎医者」、あるいは詩集「孔雀船」ひとつを出版して残り40年ほどの生涯を田舎の開業医として過ごした伊良子清白みたいな「鄙びた」ものだった。伊良子清白は往診に出かけたとき脳卒中を起こし、自身も戸板で運ばれつつ亡くなったという。そういうひっそりとした死に惹かれる。鳥も通わぬ僻地の、場末の病院で当直中にこっそり中島みゆきの古い曲を聴いているときが至福である。この歳になっていまから贅沢に目覚めるとも思えないし、このままなるたけ金のかからない生涯を終えたいものだ。