ねずみのすもう

精神科医のねずみ

引っかかる出来事

高校3年になる春先のことだった。

 

当時通っていた大学受験塾のフロアで中年らしき女性に呼び止められ、講師室はどこ?と訊かれた。

 

建物の内部について訊かれるといささか面食らう。階段がいくつかあるが、最短経路はどう説明したものか。あと講師室は複数あった。生徒の質問を受ける場所と、講師が休憩する部屋と、あと印刷室っぽいところ。この人はどの部屋のことを言っているのか。この人が父兄なのか、出入りの業者なのかで答えも変わってくる。

 

色んな考えを巡らせて一瞬口ごもっていると、彼女は、あ、キミもういいわ、とばかりに「ひょいと」そばを通りがかったほかの女子生徒をつかまえて同じ質問をした。

この女子生徒は、「この奥に守衛室があるのでそこで聞いてください」とそっけなく返答した。すると中年女性は、こちらには「一瞥もくれずに」そのまま守衛室に向かってスタスタ歩き去ってしまった。はじめからその場に私など存在していなかったかのように。

 

自分でも意外なことに、かなり強烈にムカッときたのである。

 

いやいや、仮にもあなた、僕の思考の時間を奪いましたよね?僕だって、説明するのめんどくさいから守衛室行け、で済ますことはできたのですよ。自分から話しかけといて、エネルギーを割こうとしてくれた人間を「用済み」とばかりに無視して去るって人としてどうなんですか?

せめて、考えさせちゃってゴメーンの意味を込めた「苦笑の一瞥」をこちらに残して去るもんじゃないのか。首を60度ほど回して顔クシャってやるだけですよ。そんなエネルギー要ることですかね。あなたの態度って、よほど自分の方が偉いとでも思ってないと取り得ないものですよね。てか、傍から見たら質問に答えられてないまま一人取り残されてるオレが一番バカみたいな感じになってね?なんで通りすがりのオバサンにここまで不快な思いをさせられなきゃならねーんだよ。ムカつくぜ。

 

内心そう毒づいてしまったのである。

 

今考えると、ちょっと愛想の悪い中年女性がいたというだけの話で、なんでそこまで怒りに駆られたのか自分でもよく分からない。相手にことさら悪意があったとも思えない。いろいろこじらせた思春期特有の感覚がベースにあったのは間違いない。いま同じような場面に遭遇したとして、軽くモヤっとはするだろうが、今後のかかわりがない相手ならスルーで終わりだろう。

 

しかし、その後の人生で、社会的にみれば彼女などとは比較にならないような非常識な人物に無礼な仕打ちをされたことは多々あったにも関わらず、そうしたエピソードは案外しこりとして残っていない。この1件に関しては15年ほど経った今思い出しても軽く腹が立つのは不思議である。

 

みなさんもこれまでの生活の一コマのうちに、人に説明するほどではないが、いまだに引っかかる小エピソードのひとつやふたつくらいはあるのではなかろうか。

 

あまりにひどいケースだと周囲の理解や支援も得やすいが、こういう微妙なケースは案外人に説明するのが難しく、気持ちの落としどころを見つけるのが難しいからかもしれない。考えてみるとこうやって人に伝えるのも、15年たった今回が初めてである。こういう、無礼ともいうほどでもないが、微妙に恥をかかされたかのような体験のほうが、長い目で見れば人生全般のモヤモヤにつながりやすい気がする。