ねずみのすもう

精神科医のねずみ

パワハラ考

最近、職場でのパワハラ抑うつになり当科を受診する患者さんがとても多い。といっても、現場を見ていないのでパワハラと断定するのは難しく、パワハラの定義とは...という込み入った議論には迂闊に入り込めない。厳密にいえば労基署などの管轄になるのかもしれない。ともあれ、職場において何らかの「攻撃」に遭って閉口した経験はみな一つや二つは心当たりがあると思う。

 

わたしも初期研修医時代、たまたま席が隣だった同僚に、机の上に脱ぎ散らかしたズボンを置かれる、といった地味な嫌がらせを受けて困惑したことがある。推測するに、精神科などという(脳外科志望の彼にしてみれば)志の低い科を志望している輩には、相応の態度を示さねばならない、みたいな心理があったようだ。

ところが皮肉なことに、その後彼が同期の中で断トツで仕事ができないことが判明すると、そういった嫌がらせめいた行為は自然に止んだ。あいつマジだせえよな、みたいな空気が醸成されると、自尊心を失った彼はあっというまに元気を失くしたのである。今度は逆にわたしに媚びてくるようにすらなった。さすがに怒る気すら起きなかった。

 

彼は単なる勘違いした仕事のできない男だったから大した厄災にはならなかったが、いま思い出しても冷や汗がでる人物がほかに一人いる。ものすごく頭のキレるシニアレジデントで仮にAとしておく。

 

Aは、はじめはわたしの指導係として親切に接してくれた。カンファレンスで研修医をボコボコにやっつけるのが趣味みたいなヤバイ人だから気をつけろ、と先輩医師から申し送りはあったものの、たしかに鼻っ柱の強さはありそうだがそこまででもない、というのが感想だった。お前は面白いやつだから合コンに連れて行ってやる、とも言われた。しかし、自分ならうまく付き合えそうだ、と気を緩めたのが運の尽きであった。彼の親切さはたんなる「観察期間」だったことが後で判明する。

あるとき、病棟で患者の頓服を処方するという雑用が発生したとき、折悪しく一番下っ端のわたしが不在だったため、たまたま居合わせたAがそれをこなした。これが彼の逆鱗に触れたらしい。「優秀なオレに雑事を押し付けるとは何事ぞ」というわけである。伏線はいろいろあったには違いないが、この日を境にAは一気に攻撃的な姿勢に転じてきた。

 

それまではカンファレンスでも答えに詰まると助け船を出してくれたり、なにくれとなく世話を焼いてくれたのに、些細な言い間違いなどをあげつらって罵倒してくるようになった。診断の根拠を質問し、こちらが答え始めると「あ、ごめんいいや」と薄笑いを浮かべながら遮る。

 

抄読会(医学論文を読んで発表する会)の当番にいきなり指名され、1週間ほどの準備の末、選んだ英語論文を発表しようとしたら、開始30秒で「聞く価値がない、やめろ」と怒鳴られ、部屋から退室させられたこともある。

相手に何かを準備させた上で、それをせせら笑い一瞬でちゃぶ台返しをする。精神科医で神戸大元教授・中井久夫の「いじめの政治学」によれば、いじめで相手の心を折る常套手段である。「内容以前に、お前という人間の行動自体に価値がない」というメッセージを植え付けるわけである。医師でブロガーのfujipon先生が「世の中には天性のイジメ上手がいる」というエントリーを書いているが、まさに彼がその一人だっただろう。なまじデキる人なので、上級医たちも困惑するばかりでストッパーにならず、今思い返しても地獄の数か月が続いた。仕事中も胃薬が手放せなくなった。

 

しかしわたしも執念深い性質である。せいぜいローテート期間を終えるまで頭を垂れておとなしくしていればよかったものを、ここまでコケにされて黙っておられるかと思いつめた。あるカンファレンスのあと、本人に直談判に行った。さきほどあなたはこういうふうに僕を罵られたが、あれが教育的指導ですか。僕は萎縮し続けで、あなたという人が恐ろしい、とまずは嘆願口調。ちなみに勤務交代中のナースステーションで本人を捕まえて話しかけたのであり、しっかりギャラリーも意識していた(ナースはおおむねAに反感を持っていたため、場の空気としてはこちらに有利になると踏んだ)。

日頃の彼の威勢からして逆上してボコボコに反論されることを覚悟していたが、なんと意外にも気弱そうに「え、いきなり?」「ちょっとこれからほかの用事があるから...」とその場を立ち去ろうとしたのである。これには拍子抜けした。

(パワハラをおこなう人間は、パワハラを行う「場」をしっかり選んでいるのではないかと思う。Aの場合、自分の得意とする弁舌をふるえ、多少後輩を痛めつけても「教育的指導」などとごまかしやすいカンファレンスの部屋がそれであった。「場」を離れたとたん、彼らは大人しくなる傾向はないだろうか。)

それはともかく、意外に引き気味の相手にこちらはたたみかけた。いいえ行かせません、あなたも教育係なら僕に真剣に向き合ってください、僕の何が気に入りませんか。ご指摘があれば改めます。とまくしたて、しばらく応酬があった。

最後はAは「君に心的外傷を与えたのなら謝罪します。今後はもう関わらなければいいですよね?」と薄笑いを浮かべて去った。あくまで精神的優位を示しつつ、けっこう内心は動揺していたのではないかと思う。しかし、なーにが「心的外傷」だよ。なんでこの手の奴って内心動揺するといきなり理屈っぽい丁寧語になるんだろうな。翌日Aは大幅に遅刻してきて、部長に叱責されていた。睡眠が乱れたのか、やはりAはAで、私とのやりとりがそれなりにショックではあったようだ。

 

とりあえず今後はもうパワハラ的言動を行わない約束を取り付けたのだから、ひとまずこちらの勝利である。実際、その後Aは徹底して私を無視し接触を断つ態度に出て、あからさまな罵倒や嘲笑は止んだ。とはいえ、明らかに関係の悪い人間と同じ空気を吸い続ける状態は変わらなかったわけで、不快感が尾を引きはした。スカッとジャパンみたいな結末はリアルではないものだ。

 

その後も幾多のハラスメント的言動を経験したが、これにくらべるとどれもショボいものだったため耐えきれぬほどではなかった。いくつかの考察を加えると

 

・ハラスメントを加えてくる人物が単なる勘違い人間なら自爆して終わるが、それなりの実際の優位性(仕事ができる、地位が高いなど)をもっている場合は厄介である。

はじめはサービス精神旺盛な感じで振舞ってくることも多いので要注意。気分ムラのある人物は、ふとしたことで機嫌を損ねると攻撃に転じてくる。「かつては優しかった時期もある」ため、被害者が罪悪感を抱きやすいのも重要なポイント。

 

・被害者に原因はないわけではないが、そもそもターゲットは職責上の地位など「単なる肩書」によって選ばれることが多い。旧日本軍の新兵いじめよろしく、人間をまず「階級」によって識別するのがかれら加害者の特性である。また、彼らもあまりに格下の相手は視界に入らないので、「ちょっと下だが自分を脅かし得る」くらいの相手を選ぶ傾向がある。

病院における初期研修医、看護実習における看護学生、新人看護師など、そもそも「ターゲットになりやすい地位」というものがある。そうした場合、自分の何が悪いのか、などと思いつめないほうがいいかもしれない。後年、こちらが偉くなると彼らはコロッと態度を変えたりする。

 

・孤立しないこと。加害者との1対1関係に持ち込まれると身動きができない。加害者になるような人物はすでに悪評が立っていることも多く、淡々と事実を周りにつたえ相談しておくことで逆に「包囲網」を作れることもある。直接加害者を止めてくれなくても、ギャラリーの同情をなんとなく引いておくのは効果的である。こちらが逆切れしたら意外におとなしかったAは、自分が周囲に白い目で見られ始めている空気を察知しており、すでに一歩引いていた可能性が高い。

 

・記録をとる。ハラスメントと叱咤の区別は難しいが、「てめえ」「殺す」などの暴言、また職責そのもの・容姿・学歴・家族・出身地のことまであげつらって嗤うような発言はまずハラスメントとみなしてよいだろう。日時場所の記載を明確に。場合によってはボイスレコーダーによる録音もやむを得ないかもしれない。(豊田真由子の事例)。

 

 

・新人いじめの風潮があったり、ハラスメントを許容する風土の「空間」というものがある。たしかに優れた人材が厳しいシゴキから生まれることも多いが、潰されたら元も子もない。そういう場はあらかじめ避けられれば避けるに越したことはない。

 

・加害者もまた孤独である。逆説的なようだが、加害者というのは人一倍「被害者意識」をもっている傾向がある。ひとの何倍もの苦労をしてきたのに報われない、どいつもこいつも内心オレを/わたしを馬鹿にしているだろう、というゆがんだ世界観が根底にある。加害者自身、かつていじめを受けた体験があったり、世界への絶えざる意趣返しの欲望を隠し持っていたりする。

「オラオラ、ハラスメントするオレ/わたしTSUEEEE,サイコー!」などと思っている人は案外いない。いたとしたら正真正銘の馬鹿であり、そもそもパワハラし得る地位までたどり着けない気もする。本人の主観では、自分こそ相手に「遠まわしなやり方で」攻撃されているなどと思い込んでいることもある。侵略戦争でも、やっているほうは自衛だと言い張るのが歴史の常である。

 

・話は逸れるが、精神科医春日武彦によると、ストーカーというものは殺人事件など破局的な事態につながる事例はごく一部で、「ある日突然終わる」ことが多いという。加害者がなぜか「被害者意識」をもっている、度を越した執拗さがある、という点でストーカーとパワハラはよく似ていると思う。とすれば、パワハラも何かのきっかけでいきなり終わることが多いのではないか。

私のケースも、周囲に相談したり、ついには我慢しきれなくなって相手に嘆願したり、ともがいているうちに、いつしかグダグダになって収束した感がある。スカッとジャパンみたいな痛快なエンディングはまずないが、「よくわからないうちに止んだ」というのが実感か。被害者はやはり釈然としない気持ちを長く引きずるようではあるが。

 

...と、書いていて、我ながら外資や金融などの「ガチのシバキ上げ」に比べたらヌルい経験しかしていないな、と思う。

 

そもそも加害者が怖すぎてだれにも相談できなかったり、加害者が複数で多勢に無勢だったりした場合、もう打つ手がないこともあるだろう。社内のハラスメント相談窓口の責任者が、当の加害者だったみたいな笑えない話もある。

 

日中の動悸や不眠が出たら精神科を受診するのも手である。医療機関にハラスメントを解決する力自体は乏しいが、何らかの助言は受けられる。ちなみに、病院でしか本人を診ていない医師が因果関係を立証するのは困難なため、「ハラスメントが原因でこうなった」という診断書は書けないことが多い。が、とにかく現状の困難を医師に伝える、言語化するだけで、八方ふさがりになっていた気持ちの余裕を取り戻し、行き詰まりを打開するきっかけにはなるかもしれない。すこしの投薬で動悸や過呼吸をおさえたら冷静な行動がとれるようになり、ハラスメントが「止みはしないものの少なくなってきた」事例がかなりある。

 

どなたかの参考になれば幸いである。地球人類が平和でありますように。ねずみいじめないでね。