ねずみのすもう

精神科医のねずみ

溺死しかけたこと

小学校2年生くらいのとき、プールで溺れたことがある。

夏の日のことである。

小学生にとって、プールというのは祝祭的な楽しみだった。わたしの通っていた公立小学校では、練達度を階級で表すようになっていて、なにかの目標をクリアするたびに水泳帽に達成度を示す「線」が縫い付けられた。10m泳げると白線2本。25m泳げると黒線一本、といった具合に。

わたしは黒線1本を達成したばかりではしゃいでいた。小学生の授業としてのプールには、「自由時間」というものがある。文字通り自由に遊んでいい時間で、先生が直径数mはあろうかというデカいビート板を放り込んでくれ、子供たちはそこに群がって歓声を上げていた。たぶん私もそれに交じっていたのだと思う。ふとしたはずみでわたしはビート板から落ちた。苦笑して這い上がろうとしたとき、プールの底に足がつかないことに気づき動揺した。今思うと学校のプールは、25mのゴールに近づくにつれ次第に深くなっていて、まだ幼かった私はプールの全体の構造を理解していなかったのだと思う。大人から見ると箱庭みたいな小さな学校のプールにも、子供にとってはそういう想定外の「魔のテリトリー」が存在するのだ。動揺するともうだめで、25m泳げたはずのわたしは水を飲み沈み始めた。

 

たしかわたしは水面から辛うじて顔を出し「溺れた!」「助けて!」と声を上げたのだと思う。しかし皆、自由時間に熱狂していて誰一人わたしの異状に気づかなかった。わたしはプールサイドに目を向けた。授業監督のF先生がいた。先生なら何とかしてくれると思い再び声を上げたが、先生は子供たちが楽しんでいる様子を満足げに眺めているだけで、やはりわたしに気づかなかった。F先生は50過ぎのやや小太りな女性の先生で、クラスは持っておらず、年代的には教頭くらいなのだろうが教頭でもなく、専門の科もなく、今もってなおポジションが謎の人である。妙に慇懃な口調で子供たちに接する。たまに例え話で訓話めいたことをいうが、あまりにたとえが下手過ぎて何を言っているのかわからない。気分ムラもあって、目についた生徒を突然口汚く罵りはじめ、わたしたちを唖然とさせる。ズレた人だったなあ、というのがいまに至るまでの個人的な感想だが、こういうひとはやはり肝心な物事を見ていないものである。

 

溺死の苦しさの半分は、必死で呼吸をしようとするそのタイミングでさらに水が肺に注ぎ込まれる刹那の、その絶望感だと思う。ふと観念した。ああダメだな、もう。よく知らないけど、人間って大人になって結婚して子や孫に囲まれて老人として死ぬもんじゃないのか。まだ7歳なのに。みなが楽しくはしゃいでる中、自分ひとりなんでこんなバカな死に方をしなきゃならないんだ、と怒りと悲しい気持ちでそのまま沈んでいったとき、たしか視野が霞んだかと思うとキラキラ光る「大きな仏様」みたいな影が見えたと思う(これは後になって修飾された記憶かもしれない)。いや、まだ俺死にたくないんすけど、あの、お迎えでしょうか、と思った瞬間、わたしは二本の太い腕でがっしり抱きかかえられた。学年で一番背の高い、小柄なわたしからすれば闘牛のような体躯をもったTだった。

 

Tはわたしが溺れる真似をしてふざけているのだと思ったらしく、苦笑してわたしを抱きかかえ、そのまま悠々とプールの浅いところへ運んで行った。わたしはプールサイドに上がり、水を吐きながらしばらく茫然としていた。さすがにもはやプールに入る気は起らず、そのあとどうしていたかはあまり記憶にない。

なぜ俺が溺れたのに気づかなかった。一体お前は何を「監督」しているのか!とF先生に喰ってかかるわけでもなく、助かったぜ、ありがとう!と感激してTの手を握ったわけでもない。溺れていたんです、と誰かに弱弱しくでも伝えた記憶もない。すべてが仕組まれ、予定調和的に運ばれた感じがして、とにかく茫然とするしかなかったのだと思う。

Tがいなければ、まちがいなく翌日の新聞に小さな記事で「7歳児童、学校プールで溺死」と報じられたに違いない出来事ではあった。

 

その後、プールがトラウマになってしまい二度と入れなくなった...というわけではない。何事もなかったように毎年夏になるとプールを楽しみにしていたのは我ながら不思議である。それを境に人生観が変わった、ということもない。今なお、べつに水は特に怖くはない。

 

いったいあれだけの事件を、自分自身がどう受け止め流したのか今もって分からない。子供の世界観というか、時間の流れの感覚は不思議なものである。しかし、あのときわたしを助けてくれたTの二本の腕のガッチリとした感触ほど頼もしいものは、その後の人生でもなかったかもしれない。Tは3人兄弟の一番上で、病弱な母親に代わって早くから一家の面倒をよくみていた。普段は泰然としているが怒ると暴力的なところもあり、今思うと、北斗の拳に出てくる「山のフドウ」に近いキャラクターだった。小学校を卒業した直後、母上は亡くなられたときいた。天才肌でとにかく飲み込みが早く、勉強のよくできるやつでもあり、その後名門私立大に進んで理工学を修めた。