ねずみのすもう

精神科医のねずみ

コロナ禍

私は飲み込みの悪い、不注意な子供だった。幼稚園でも、小学校でも、先生が「○○しましょうね~」というと、みんなテキパキと指示に従って準備なり作業なりを始めるのだが、私一人説明を聞き逃していてオロオロ、という場面がけっこうあった。図工の「明日の持ち物」をクラスでただ一人忘れ、お袋に激ギレされベルト百叩きの刑に遭ったのは軽いトラウマである。内容の理解以前に、やる「必要性」を直観できないことについて注意が向かないのであり、おそらく発達の特性だが、当時は本気で悩んでいた。医学部入試をよく突破できたものだと今でも思う。

 

さてコロナである。株価も下がった。ツイッターを眺めていると、みんな医学にも経済にも造詣が深くてすごいなあと感心する。専門外だし、ネズミにはガチでわからないチー。美人そうな医療スタッフ垢に片っ端からクソリプを飛ばしガン無視されるくらいしかやることがない。PCRを推奨する某巨大アカウントに「ねずみも検査してもらえるの?」とクソリプを飛ばしたがこれまた案の定無視された。友達にこれから何するのか訊いて「はぁ?お前先生の話聞いてなかったのかよ」と振り返った肩越しに呆れられた子供の頃の孤独がフラッシュバックし、暗澹たる気持ちになる。

 

このような感じで、みんな「当たり前」のように中高時代は平成J-POPに親しみ、恋愛を嗜み、長じては株をやったりしているのだろうか。もしかして同世代・同クラスタを集めた「標準的振る舞いガイダンス」みたいな集会がどっかのホールで定期的に行われており、例によってオレだけ情報を逃して参加できずじまいで、それがコロナ禍によってついに表面化したのではないか、という想像までしてしまった。当のコロナはまだ私のもとには襲来していない(じつは不顕性感染してるというオチかもしれぬ)が、もはやコロナとはあまり関係ない想像が脳裏に膨らみつつあるのが可笑しいといえば可笑しい。

 

コロナについては情報の空白が未だ多い。「不明」とは「不安」の格好の培地であり、不安は本題とは関係ない「思考の場外乱闘」をもたらしがちなことが改めて分かった。とりあえず手洗い・うがいを念入りにやろう。あと難癖つけていじめてくる人がいるからしばらく地下にもぐるち。