ねずみのすもう

精神科医のねずみ

たそがれ清兵衛

以前の記事「春日武彦先生のこと」で、精神科医春日武彦の本との出会いについて書いた。医大入試の前期試験が終わって発表を待つ、微妙な「凪」ともいうべき時期に出会った本だったが、もう一つこの時期に出会った印象深い映画がある。テレビ地上波で初放送の映画。

藤沢周平原作・山田洋二監督の「たそがれ清兵衛」である。

時代は幕末の東北の小藩(海坂藩・モデルはおそらく庄内藩)。

井口清兵衛(真田広之)なる下級武士がいた。剣は凄腕だが若いころの話で、身分も低いため今は同僚でもそのことを知る者はいない。妻は結核で亡くなり、小さい子供たちや認知症の母の介護のため、下城の太鼓が鳴ると同僚の飲み会の誘いもことわってそそくさと帰宅するため「たそがれ清兵衛」とあだ名され、ちょっと笑い物にされていた。

今で言うイクメンに近い存在だが、当時でいえば珍奇なものでしかなかったのだろう。

幼馴染の女性(宮沢りえ)が離婚し、離婚した元夫の上級武士・甲田豊太郎(大杉連)が夜な夜な女性の実家にいやがらせに来る。清兵衛はそこに割って入ってトラブルになり、「下っ端侍の分際で逆らうか」と逆上した甲田に決闘を申し込まれるが、夜が明けて行われた決闘の場で棒きれで相手をあっさり倒す。甲田は藩内でもそれなりの使い手だったはずで、立ち合いの武士たちは腰をぬかす。

決闘があってしばらくのち、藩の米蔵で働いていた清兵衛のもとに甲田の同僚だという余吾善右衛門なる初老の武士(田中泯)があらわれ、清兵衛の剣の腕を誉めそやす。あれはまぐれです、と謙遜する清兵衛であったが、余吾の雰囲気に不気味なものを感じる。

時が流れ、幕末の動乱が激しさを増す中、藩でも内紛があって多数の藩士切腹を命じられる事件が発生。そのうちの一人が切腹を拒否し自宅にこもってしまい、藩が討手を出したが返り討ちにあってしまう。藩命に背いてこもった手負いの獅子は、あの余吾善右衛門であった。当代随一の一刀流の使い手とされる余吾を斬るべく、評判が高まっていた清兵衛に白羽の矢が立つ。深夜、家老屋敷に呼び出されて「余吾を上意討ち」の藩命を言い渡された清兵衛は、家族の世話を理由に必死に断ろうとするが、背いたら追放と脅迫されやむなく引き受ける。

翌朝、清兵衛は襷で身を固め余吾邸に向かう。家の入口には、先日返り討ちにあった藩士の死体がまだ残されていて、無数のハエがたかっている。

すぐに襲い掛かってくるかと思われた余吾は、意外にも家の奥座敷で酒を飲んでいて、殺気立つ清兵衛に「いっぱいやらんか」と誘ってくる。自分はもう斬り合うつもりはなく、これから逃げるから見逃してほしい。その前に自分の身の上話を聞いてほしい、と。余吾善右衛門は、以前勤めていた藩が取り潰されてから、海坂藩に仕えるまでの10年近い悲惨な浪人暮らしの中で妻子を失った無念を語る。はじめは緊張していた清兵衛もいつしか心をゆるし、自分の身の上話をかぶせる。

妻を失った無念や、子どもたちを抱えて途方にくれたこと。葬儀代も出せないような貧乏だったため、刀すら売ってしまった。恥ずかしながら、この刀は竹光(木製の模造刀)です、と自嘲する清兵衛に、余吾の表情が一変。「わしを竹光で斬るつもりか」と逆上し斬りかかってくる。清兵衛はやむなく小太刀(こちらは真剣)で応戦し死闘がはじまるが、技量は清兵衛が上で、各所を斬られ失血し、意識がもうろうとした余吾は梁に刀を喰い込ませてしまい、そこへわき腹を深く斬られ「地獄だ...」といいながら絶命する。

生還した清兵衛は、かねてより両思いだった女性(宮沢りえ)と再婚する。そして、戊辰戦争で戦死するまでの数年間、しあわせに暮らした。

 

長くなってしまったが、そういう筋である。

最後の余吾善右衛門との死闘のシーン。余吾に返り討ちにあって無残な死体を晒された藩士も、余吾自身も、清兵衛も、当時にあって武士とはいいながら恵まれない境遇の人物であった。結局一番はげしく争うのは、似たような恵まれない境遇の人同士だったりするのがこの世の悲しい真実である。

 

医大受験は過酷だったし、「これでもし落ちていたら...」という暗澹たる気分でいた結果まちの私に、ちょっと救いに似た気分をもたらした映画であった。

人間が真に生きるとはこういうことか。なら万が一落ちて浪人しても何とかなるんじゃね?と。実際は合格していたので万々歳であったが。

長くなりましたが、わたしの好きな映画その1です。アマプラで観られるので、お時間ある方はぜひ観てください。