ねずみのすもう

精神科医のねずみ

ヒットの法則

 鬼滅の刃が大ヒットである。この作品、ファンの方には大怒られが発生しそうなのだが、まだ5巻くらいまでしか読んでいない。ちょっと前に銭湯行ったときに休憩ルームに置いてあったのを読んだまでである。読み始めて、まず「大正時代というが大正何年なのだろう...。第一次世界大戦は始まってるんだろうか」という素朴な疑問を抱いた。

そうこうしているうちに刀を抜いた大立ち回りが始まり、鬼殺隊なる、すごい強いんだけど感じ悪いひとたちが現れ、ああこういうの、入学直後のちょっとクールぶった大学同級生の雰囲気だな、と苦笑いし、女体化した無惨様が現れたところで過去のトラウマが噴出して読み進められなくなった。怒るとほんとうにこういう表情になる女性がいたのである。

 

恐ろしくなっていまのところ逃散中のわたしが言うのも滑稽だが、たしかに人の心を揺さぶる何かがあると思う。

「大正時代」という、明治と昭和のはざまにある時代設定も絶妙だった。電気ガス水道など、インフラが家庭にも普及して「現代的生活の雛形」ができた時代。竹久夢二高畠華宵美人画の巨匠が筆をふるい、現代のネット自撮りにも通じる「どこか退廃的な美人像」の原型ができた時代。

現代から遠すぎず近すぎず、適度な距離感でいろんな想像をつめこみやすい時代に設定したのは作者の慧眼である。まだ先を読んでないけれど。

 

ヒット作品について毎回不思議になるのは、ヒットになるか凡作で終わるかの分岐点はどこにあったのか、ということである。

 

世に出た当初は話題沸騰というほどでもなく、数年のタイムラグを経て爆発的に広まるのがヒット作あるあるで、作者自身がフィーバーを予測していなかったことも多い。それどころか、書き始めたときは「もう後がない」状態で、ダメ元で出したらなぜか救われたパターンも多いのではないか。ドストエフスキーがデビュー後は鳴かず飛ばずで、ヤケになって反体制運動に身を投じてシベリア流刑になってしまい、10年ののち文壇に復帰してから「罪と罰」などの大作を次々発表したように。

鳴かず飛ばずだった時期にいろんな「厄」を払い終えたからこそ最後にホームランを打ったのであり、人間大成するには必ずダメな一時期を経なければならないのではないかとも思う。流血と死臭のたちこめる本作、やっぱり怖いのでしばらくは読めそうにないが。