ねずみのすもう

精神科医のねずみ

医者はおっぱいとツイートしてはいけないのか問題

結論から言うとよくないと思う。明らかに怒る人が一定数いる以上、あえてやる意味は乏しいからである。

 

しかし、そんなことは分かっているにも関わらず、なぜ、おっぱいとツイートする医者が(下手をすると女性の中でも)それなりにいるのか。

まずは、乳房について個人的にさほどこだわりがなく、ギャグだと思っているケース。

昭和のセンスともいえるが、とくに悪意は感じられない。

次に、おっぱいと呟くと怒ってくる人に対する対抗意識。

以前、献血のポスターの女性が「巨乳」に描かれていて、炎上していたことがあったが、あれはわざわざあんなイラストを掲げた運営サイドもイミフながら、それを非難する論調も、ちょっとついていけなかった。一連の議論を読み齧ったが、聞いたこともない横文字や難しい漢字がいっぱい出てきてよく分からなかった。リアルでこんな議論してる人観たことないんだけど、いったいどこの世界線なのだろう。

このようにおっぱいに対する「怒られ」が発生すると、カウンターとして、なんかあいつら優等生ぶりやがって、イケすかねえからおちょくってやんべという、禁じられるとかえってやりたくなる「青髭」的なものが発生するのかもしれない。

たとえばだが、天皇陛下が勅令で禁じてもなお、おっぱい発言をする者はまずいないだろう。人格道徳すぐれた人物に真顔で禁じられるならともかく、なんかちょっとうるさい、自身の差別意識や権威志向にはきわめて鈍感そうな人に怒られると反発したくなるのが人間の性なのだと思う。

 

以上の議論を踏まえてなお、わたし個人は「おっぱい」という呟きはしない。正直どうでもいいからだ...。

ナウシカ考

映画館でジブリ作品が上映されているというので、さっそく「風の谷のナウシカ」を観てきた。考えてみたらジブリの作品を映画館で観たことなかったな...。

 

ナウシカはこれまで何度も観た。上映当時(1984年)、わたしはまだ生まれてすらいなかったが、その後繰り返しテレビで放映された。

 

2002年初頭、仲間由紀恵のドラマ「トリック」で、放送時間がかぶっていたことにかこつけて、子どもたちが「何度目だナウシカ」と習字するシーンがネタとして挿入されるほど、金曜ロードショーの定番として抜群の存在感を誇っていた。観るたびにちょっとずつ違った感想が出てくるのがこの作品の味わい深いところである。

 

(ちなみに原作の漫画はほぼ別の作品といっていいほどストーリーが違う。以下はあくまで映画版の話であることをお断りしておく)

 

①ストーリーは複雑なのに何となく観られてしまう

 

たとえばジブリ作品を全く観たことがない人に、ナウシカのあらすじを全部説明するのは意外に難しくないだろうか。まず世界観が超越的すぎる。巨大産業文明が崩壊して1000年、いきなり世界がカビとダンゴムシに蹂躙されているところから始められても、知識ゼロの人は目を白黒させるだけではないか。

 

あと、この時代の世界にどんな国々が割拠していて、それぞれの位置関係や軍事バランスはどうなっているのか。腐海とは、蟲とは何か。登場人物のセリフで断片的にほのめかされるだけで、明確な説明は最後までない。

 

ことの発端はペジテ市が地下から「巨神兵」を掘り起こしたことにあるというが、話のスタートの時点ですでにペジテは滅ぼされ、巨神兵を本国へ運ぼうとしたトルメキアの戦艦は墜落。

 

丁寧にストーリーを追わないと、時系列も各国の思惑もよく分からなくなってくる。それでも観ていて話の展開にあまり引っ掛かりを覚えないのは、独特の清涼感がある画風と、テーマの壮大さ、テンポのよさによるところが大きいと思う。

 

「一見まとまりがないが、なんかすごいこと言ってる風で説得力のある人物」みたいなもので、これこそがジブリの強みなのかもしれない。実際、宮崎監督をはじめ、そういうスタッフが現場を牽引してきたのではないかとも思うが...。

 

ナウシカ、リアリティない説

 

宮崎駿宇治拾遺物語の「虫めづる姫君」と、ギリシャ神話のナウシカーアから構想を得てナウシカを造形したという。16歳という設定である。

 

子どものころ観たときは、「姫ねぇさまぁー」と駆け寄っていく谷の子供目線でナウシカに肯定的な感情を持っていたが、30超えたオッサンになって観ると、いやこんな女子高生いるわけないでしょ...勘弁してよ...。

説明は要るまい。観ていて終始モヤモヤしてしまった。リアルでこんな若い女性がいたら真っ先に警戒する。

 

それは置くとして、「目についた人は脊髄反射的に助ける」という姿勢が王族としてはむしろ失格に思える。対人援助のリソースは有限である。王女の身に何かあったらどうするのかとヒヤヒヤする。

 

トルメキアをはじめ、周辺の軍事国家からの干渉はどう跳ねのけていたのだろうか。地理的に隔絶されていたのだとしても、そういう外部との交流の少ないコミュニティでは近親婚が繰り返されたり、いじめが起こりやすかったり独自の問題を抱えていそうである。そのへんの描写が全くないあたり、「風の谷」にも不自然さを感じてしまった。マルクスの説いた「原始共産制」ってたぶんこんな感じの世界観なのではないか。

 

もちろんそんな感想は織り込み済みで作品は作られているのであり、おそらくわたしの目線が汚れてしまっただけ+宮崎監督の手のひらの上で踊らされているだけなのだが。

 

③トルメキアの圧倒的リアリティ

 

歴史上、たまに軍事的女傑が出ることがある。

日本神話における神功皇后マムルーク朝のシャジャル・アッドゥール、百年戦争ジャンヌ・ダルク、イタリアのカテリーナ・スフォルツァインド大反乱ラクシュミー・バーイなど。

クシャナもその系譜であり、キャラクター造形としてはむしろ典型的である。

 

クシャナが中年男だったらこの物語は成立しなかったはずで、ナウシカとは宿命的なペアリングである。彼女がトルメキア本国の命令に背いてまで、「巨神兵」を用いた新国家建設にこだわったのは、おそらく蟲に腕を食いちぎられたトラウマが深く関わっている。

 

美貌とハイスペックさの取り合わせは一見非現実的なようでいて、肉体に根深いコンプレックスを持っていたり、肉体への執着をそのまま世界観に置き換える点において、きわめて女性的かつリアリティにあふれた人物造形である。それゆえ、やっていることは悪事そのものなはずなのに、なんというか、ナウシカより「安心して見ていられる」という倒錯した状況をもたらしている。

 

あと、今回はトルメキア軍の組織バランスについてやたらと気になった。地上戦闘は強いが、航空戦力は軍事大国の割にかなり弱い。戦艦も図体がでかいだけで、序盤の戦闘では、アスベルの操縦するガンシップ一隻に(コルベット1隻を残して)あっさり全滅させられている。

一見凶悪だが組織としては意外に脆く、こんなんで戦乱の世を生き抜いていけるのか心配になった。辺境派遣軍と本国の関係もあまりよくなさそうで、たぶんトルメキアは軍事的な刷新に乏しい老廃国家になりつつある。

 

「風の谷」よりはるかにリアリティに溢れ、現実の国家に生き写しなのはトルメキア陣営の方である。その中で、軍事国家としての戦略に基づいて世界を救うことを本気で考えていたのはおそらくナウシカではなくクシャナである。この物語のほんとうの主人公はクシャナなのではないか。

 

④ラスト後の世界

 

ラストになんとなく物寂しい余韻が残るのは、久石譲の音楽もあるが、じつはこの物語が厳密にはハッピーエンドではないからだろう。

王蟲の蹂躙は辛うじて免れた「風の谷」だったが、王を失い、300年谷を守ってきた森の生態系すら失ってしまった事実は変わりない。本当に腐海や蟲と共生できるのか。

 

巨神兵を本国へ運べなかったクシャナらにはどんな処分が下されるのか。彼らが処罰に甘んじなかった場合、トルメキア本国は深刻な内乱に突入する可能性も高い。列強のパワーバランスが崩れれば今度こそ本当の大戦争にもなりかねないだろう。

そんな中で、大地の毒を腐海が浄化するまで何千年かかるかわからず、それまで人類は生き延びられるのだろうか。じつは問題はこの先も山積みである。

 

つくづく人間は業の深い生き物である。と同時に、生命とは一瞬の光芒であることを、宮崎監督は僕らに教えてくれる...

とか言ってみたいところだが、ご本人的には、タイプの女性やミリオタ要素を描きまくりたかっただけという説もあったりなかったり

 

ともあれ、私自身が老年くらいになった時点でまた観返してそのときの感想が楽しみではある。

 

⑤ユパ様かっこいい

英伝のメルカッツ提督といい、納谷悟朗氏は最高である。父性を感じる

 

 

 

 

 

 

 

 

「異域の人」

自分は残りの生涯でどれくらいのことを成し遂げられるのだろう、とか考えてしまう。

 

医者のはしくれをやっていて、家庭も持って30半ばのいい大人である。このポジションを維持するだけでも大変なことであり、それ以上を望むのはおこがましいというべきかもしれない。

 

が、そもそも今のポジションは18歳時点で「医学部に入学した」ことにかなりの部分支えられており、その後の人生がなんだかハリボテみたく感じられてしまうことがある。もうちょっと何かしたいと思うが何をどうすればいいのか分からない。

 

実際、歴史上「功成り名遂げた」人物の一生ってどんな感じだったんだろう。思い出すのが、井上靖(1907~1991)の「異域の人」という短編である。

(井上靖楼蘭」(新潮文庫)に収録)

 

 

世界史を履修した人なら覚えているかもしれない。後漢の班超(32-102)の生涯を描いた短編である。けっこう印象的な作品だったので、これを読んでいたのが20歳の秋、細菌学講義の合間だったことまで鮮明に覚えている。

 

漢の時代、匈奴との戦いの要となる西域(中央アジアの砂漠地帯)の平定は一大事業だったが、そこに散在するイラン系のオアシス国家はたびたび叛乱を起こして王室は手を焼いていた。

42歳にして抜擢された班超が、30年かけて西域を平定する様子を描いた歴史短編である。

 

井上靖の歴史ものは、漢文の引用が多い独特の文体なので好き嫌いが分かれると思う。班超という人は、歴史の教科書に出てくるくらいの有名人でありながら、実際に西域平定の武将として名が出てくる40歳頃までの事績がほとんどわかっていないという。

 

班超は西域に入ると武人としてめきめき頭角をあらわし、侵入してきた匈奴の部隊と戦ったりして、オアシス諸国を平定してゆく。

 

平定は困難をきわめた。匈奴妨害工作と戦いながら、離合集散をくり返すオアシス国家を束ねなければならない。砂漠の気象条件も過酷である。

 

部下が逃げたり、個人的に信頼関係にあったはずの現地領主がいきなり裏切って攻撃してくるなど数々のトラブルに見舞われながら、気づけば老人になっていた。現地に骨を埋める覚悟をして、妻子はとうに離別して家庭的にも孤独である。

 

長年の功績が王室に認められ、ついに現地のトップ官僚である西域都護に任命されるが、その直後に兄・班固がなんと故国で獄死したと知る。

(ちなみに兄の班固も正史「漢書」を編集した人)

西域都護となった班超に、洛陽からの使者が最初にもたらしたものは、兄班固の獄死であった。

 

一代の儒者として知られ、また晩年には大将軍トウ憲の参議として匈奴討伐に参加した班固が、私怨を受けて獄に下り、獄中に死んだという報せは、班超を暗然とさせた。

 

異域にあって干戈忽忙の中に年を重ねた班超の頬を、初めて長く相見なかった肉親のための涙がこぼれ落ちた。母も妻も数年前、すでに物故していた。

 

ここから、功成り名遂げた男の寂しい晩年の記述が続く。

肉親や親しかった同僚・部下も相次いで死んでゆく。悲しみを振り払うかのように戦いを続けるが、いよいよ70歳を超え、持病も悪化して死期を悟った班超は帰国を願い出る。

 

...願はくは生きながらにして玉門関に入らんことを。

沙漠に命を延ぶるを以て今に至って三十年。骨肉相離して復た相しらず。

ともに相したがふ所の人みな既に物故せり。超最もながらえて今七十に到らんとし、衰老病を蒙りて頭髪黒きなし。....

 

 

班超はその長文の上申書に書いたごとく、異域にとどまること三十年、七十一歳になっていた。

 

帰国の許しを得た班超は30年ぶりに故国に帰った。

 

皇帝はすでに代替わりして、班超からみれば孫のような年齢の若い天子になっている。首都・洛陽もすっかり様変わりして、異民族の商人が盛んに出入りし、胡風(西域風のファッション)が流行っている。西域が平定され通商が活発になったからだが、当の功労者である班超自身がその事実をはじめて知って驚いているのが皮肉である。

 

路行く人の服装はいずれも目を奪うばかり華美であった。班超は于闐国玉河の産する玉をもって腕を飾る婦人たちを見た。市街は殷盛をきわめ、胡国の産物をひさぐ店が軒を連ねていた。

 

班超は異域における己が労苦が、不思議な形をとって洛陽の町に溢れているのを見た。班超はなおも街区を歩いた。

 

さて、30年ぶりに故国に帰った班超を、街の人々はどう迎えたか。

 

「胡人!」

幼童の言葉で班超は足を留めた。彼は胡人という言葉で自分が呼ばれたのを知った。三十年の異域の生活は彼を一人の胡人たらしめていた。漠地の黄塵は彼の皮膚と眼の色を変え、孤独の歳月は彼から漢人固有のおっとりとした表情を奪っていた。...

 

「胡人!」

路上に遊ぶ幼童の群れがまた彼を呼ぶのを耳にした。

 

 

 「胡人!」のところで、なんかズギューンときてしまい、動けなくなった。

班超は、自分でも気づかないうちに長年戦っていた「胡人」とほとんど同化していた。西域を平定した班超の名は天下に轟いていたはずだが、子どもたちはまさかそこを歩いている深い皺の爺さんが当人だとは思っていないのである。

そうか、胡人、か...。

 

翌日、班超は病状あらたまって卒した。洛陽に入ってから十数日目である。
朝廷は深くその死を悼んで、使者を立てて厚く祭祀した。

 

ヒーローとして故国に迎えられ大団円、というわけではない。祖国を留守にした三十年の空白を埋める暇もなく、自分の風貌がもはや漢人ですらなくなっている事実を子供に笑われながらあっけなく死ぬ。当の班超自身は、病の悪化もあって薄れゆく意識のなかで幸福でも不幸そうでもない。

 

その死後、後任者の力量が伴わなかったこともあって西域は乱れ始めた。

 

班超の没後、西域は再び乱れた。都護任尚は人心を失い、西域の諸国はこぞって叛いて彼を攻撃した。段喜替わって都護となったが、その後も戦火絶えなかった。

 

班超が長年かけて築いた平定事業があっという間に崩壊する様を描いた、淡々とした「締めの文章」までが秀逸である。

 

砂漠のイメージと相まって、乾いた抒情とでもいうべきか、全体的に暑苦しい夏の夜に見た哀しい夢みたいな雰囲気がただよう。なんか人間が生涯をかけた仕事って、幸不幸の概念を超えたところにあるのかなあと不思議な感想をもたらす作品であった。

 

西域の道遠く且つ険阻なること、胡族叛服常ならぬこと、西域派遣軍の費用莫大なること――――

三つの理由に依って、安帝の永初元年六月、漢は西域を放棄し、都護、屯田の官吏、兵士を召喚した。再び玉門関は固く閉ざされた。班超没してから五年であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

引っかかる出来事

高校3年になる春先のことだった。

 

当時通っていた大学受験塾のフロアで中年らしき女性に呼び止められ、講師室はどこ?と訊かれた。

 

建物の内部について訊かれるといささか面食らう。階段がいくつかあるが、最短経路はどう説明したものか。あと講師室は複数あった。生徒の質問を受ける場所と、講師が休憩する部屋と、あと印刷室っぽいところ。この人はどの部屋のことを言っているのか。この人が父兄なのか、出入りの業者なのかで答えも変わってくる。

 

色んな考えを巡らせて一瞬口ごもっていると、彼女は、あ、キミもういいわ、とばかりに「ひょいと」そばを通りがかったほかの女子生徒をつかまえて同じ質問をした。

この女子生徒は、「この奥に守衛室があるのでそこで聞いてください」とそっけなく返答した。すると中年女性は、こちらには「一瞥もくれずに」そのまま守衛室に向かってスタスタ歩き去ってしまった。はじめからその場に私など存在していなかったかのように。

 

自分でも意外なことに、かなり強烈にムカッときたのである。

 

いやいや、仮にもあなた、僕の思考の時間を奪いましたよね?僕だって、説明するのめんどくさいから守衛室行け、で済ますことはできたのですよ。自分から話しかけといて、エネルギーを割こうとしてくれた人間を「用済み」とばかりに無視して去るって人としてどうなんですか?

せめて、考えさせちゃってゴメーンの意味を込めた「苦笑の一瞥」をこちらに残して去るもんじゃないのか。首を60度ほど回して顔クシャってやるだけですよ。そんなエネルギー要ることですかね。あなたの態度って、よほど自分の方が偉いとでも思ってないと取り得ないものですよね。てか、傍から見たら質問に答えられてないまま一人取り残されてるオレが一番バカみたいな感じになってね?なんで通りすがりのオバサンにここまで不快な思いをさせられなきゃならねーんだよ。ムカつくぜ。

 

内心そう毒づいてしまったのである。

 

今考えると、ちょっと愛想の悪い中年女性がいたというだけの話で、なんでそこまで怒りに駆られたのか自分でもよく分からない。相手にことさら悪意があったとも思えない。いろいろこじらせた思春期特有の感覚がベースにあったのは間違いない。いま同じような場面に遭遇したとして、軽くモヤっとはするだろうが、今後のかかわりがない相手ならスルーで終わりだろう。

 

しかし、その後の人生で、社会的にみれば彼女などとは比較にならないような非常識な人物に無礼な仕打ちをされたことは多々あったにも関わらず、そうしたエピソードは案外しこりとして残っていない。この1件に関しては15年ほど経った今思い出しても軽く腹が立つのは不思議である。

 

みなさんもこれまでの生活の一コマのうちに、人に説明するほどではないが、いまだに引っかかる小エピソードのひとつやふたつくらいはあるのではなかろうか。

 

あまりにひどいケースだと周囲の理解や支援も得やすいが、こういう微妙なケースは案外人に説明するのが難しく、気持ちの落としどころを見つけるのが難しいからかもしれない。考えてみるとこうやって人に伝えるのも、15年たった今回が初めてである。こういう、無礼ともいうほどでもないが、微妙に恥をかかされたかのような体験のほうが、長い目で見れば人生全般のモヤモヤにつながりやすい気がする。

 

 

 

老けたネズミについて

年の割に老けたことを言う、と小学生のころくらいから言われ続けていた。

 

声変りがはじまった中学生の頃には、家で電話をとると、話しぶりが妙に大人びているので父とよく間違えられたり、医者になってからもほかの病院の先生と電話でやりとりするとき「50歳くらいの部長クラスの人」だと思われていて、じつは後期研修医でしたと後で分かってびっくりされる、なんてことはしばしばだった。ツイッターでも、実年齢をほのめかすと毎回びっくりされる。

 

こちらとしてはふつうに喋ったり、素朴な感想を漏らしているつもりが、実年齢+20歳くらいの印象を与えるらしいのである。

 

私から見ると世の中の人が全体的に、年齢の割に妙に若い意識でいるように映るのだが、多勢に無勢、ちょっと変なのはこっち、という仕様にならざるを得ない。

(熊代亨先生が「若作りうつ社会」で、「若作り」の病理について解説なさっていたが、現代ではそのようなものの見方の方がまだマイナーだろう。みんな薄々自覚はしているかもしれないが)

たぶん見えている世界や時間の感覚が、平均的な世の感覚とはちょっとズレているのだと思う。それがプラスに評価されたことは正直あまりないが、もう「そういうもの」として生きていくしかない。世の中とわたし、どちらが正しいとか価値観として優れている、とかではなくて、双方ただ「そういうもの」なのである。

 

なんていってるうちに30代もそろそろ半ばにさしかかり、アラサーですらなくなりつつある。印象と実年齢がだんだん近づきつつあるということか。これはこれで、喜んでいいことなのかどうか。よくわからない。ちー。

 

 

 

 

 

 

「和解」

子供のころ、妖怪だの幽霊だのの話が好きで、図書館からその手の本を借りてよく読みふけっていた。

今思い出してもよくできていると感心するのが、小泉八雲(1850~1904 ラフカディオ・ハーン)の「怪談」である。

ハーンは明治時代の日本に帰化した「お雇い外国人」の一人で、本人はアイルランドギリシャのハーフである。

高等学校で英語を教授しながら日本の古い怪奇譚を収集、「耳なし芳一」「むじな」などを遺したが、私が個人的に好きなのは「和解(The Reconciliation)」と題する一編である。

 

むかし、京にひとりの侍がいた。

 

あるとき主家が没落して生活が困窮。すでに妻がいたが家計を支えられなくなった。

 

男は新たな仕事のために妻を捨て、名家の娘と再婚。そのまま遠国に出張する。

 

しかし二度目の妻は性格のきつい女性で、夫婦生活は破綻してしまった。前妻を捨てたことを後悔した男は、金を貯め任期が切れると京にすごすごと帰った。

 

男が京にたどりついたのはすでに9月10日の深夜であった。

 

前の妻はとっくによそで再婚して、家は荒れ果てているだろうと思って帰ってみると、なんと昔住んでいた家は元のままで、明かりがともっている。

 

戸を開けてみると、多少やつれてはいるものの紛れもなく前妻が機織りをしている。

 

男の帰りを信じてひたすら待ってくれていた妻に、男はこれまでの自分勝手さを詫びる。前妻は「帰ってきてくれただけで嬉しい」と笑って許す。

その晩、男は「二度とお前を離さない!」と熱く語りながら妻を抱き、いつしか眠る。

 

翌朝起きてみると、「根太がむき出しになった」廃屋に男は横になっていた。

 

 男は昨夜のは夢だったのかとたじろぐが、たしかに妻は隣で寝ている。

とりあえず「ねぇ、お前...」といって顔をのぞきこんで絶叫。

長い髪の毛だけ残した女の白骨死体に経帷子が着せられていた。

 

「捨てた妻のところに戻って一夜明けてみたら」シリーズの元ネタは上田秋成の「雨月物語」および平安の「今昔物語」らしい。

 

雨月物語バージョン(「浅茅が宿」)では、隣に白骨死体は寝ておらず、「妻の辞世の和歌」が書かれた板だけが地に刺さっているという、なんだか抒情的な雰囲気で締めくくられている。

 

一方ハーンの語る「隣に死体が寝ていた」バージョンは「今昔物語」版に忠実な描写であり、感動の再開から一転、死というもののグロテスクな一面を強調した描写になっている。

 

おそらく、似たような説話は古くから語り伝えられていて、ラストの描写の違いは「雨月物語」「今昔物語」それぞれの編者の世界観の違いだろう。

 

ハーンにしてみれば、和歌を引っ張り出してリリックに締めるより、人間の業や死のリアルを前面に出した「今昔」のオチの方に説得力を感じたようである。複雑だった彼自身の生い立ちと考え合わせるといろいろ興味深い。

 

ところで、話にはまだちょっとだけ続きがあり、後日談として、「男が京に縁もゆかりもない旅人のふりをして、付近の住人に話しかける」くだりが出てくる。

昔自分が住んでいた家への道をそれとなく尋ねるのである。

「あの家にはどなたもいらっしゃいません。

元は、むかし都を去った、あるお侍の奥様のものでした。

そのお侍は、離れられる前に、他の女を迎えるために奥様を離縁されたのです。

それで奥様は、非常に苦しまれて、病気になられました。京都に身寄りもなく、だれも世話をする人がありませんでした。

それでその年の秋―9月の10日に亡くなられたのです」

一抹の寂しさと不気味な余韻を残しつつ、話はここで終わっている。

 

これを読んだ当時、話のスジとしてはよくできていると感心しながらも、結果として妻を無残な死に至らしめながら、あまり悼むそぶりもなく終始「気味悪がっている」男の態度がちょっと引っかかったのを覚えている。

 

また、死体に「経帷子が着せられていた」のは、近隣住民が妻の死を知ってそれなりの弔いをしていたことを意味する。ただ、帷子を着せただけで白骨になるまで家に放置する理由がよくわからない。なぜ埋葬しなかったのか。ちょっとみんな冷たすぎじゃない?

 

しかしいま考えると、古い時代には現代に比べて「死」というものが驚くほどありふれていて、人々は弔いの感情を長くは抱いていられなかったのではないか。

 

まだ若かった妻がいきなり亡くなってしまったのは、夫に捨てられた煩悶というより何かの感染症ではないか。一帯に大量の死者が出てしまい、埋葬が追いつかなかったのではないか、という想像もできる。

(そもそも、近隣住民が完全に入れ替わってでもいなければ、男は「旅人のふりをして」ものを訊くことなどできない。住民が入れ替わるような何らかのショックがあった可能性が高い)

 

どうも子供だった私は、「死」なるものを、すべてが演出されつくした後にやってくる何か感動的なものだと見なしていたようである。

これは医療が発達したことで死が遠ざけられ、かえってその実態がよくわからなくなった現代特有の感覚なのだろう。

案外いきなり簡単に人は死ぬし、死なないまでも死や感染の恐怖に晒される。

もちろん崇高な死もあるが、生きている人々に余裕がないと、悼むのもそこそこに葬儀のやり方とか財産の処分が問題になるなど、きわめて「物質的」な面もある。このあたりは医療従事者や、複雑な背景をもったご遺族などが嫌というほど痛感しているはずである。

 

今回のコロナ騒ぎで、社会に充満した禍々しい雰囲気にどこか既視感があったのは、子どもの頃読みふけった昔話の中に同じような「死の香り」を疑似的に嗅いでいたからかもしれない。

文脈によっては「崇高さ」にも「無残」にも通じ、また往々にしてそれを取り巻く人間の業をも浮き彫りにする。つぶさに見れば、きわめて即物性の強い何か...。

 

コロナ後の展望を考えると暗澹たる気持ちになってしまうが、今後の社会も経済も、死の淵に沈んでしまわないことを願うしかない。

ハーンの物語の中では、健気で薄幸な若妻はいたましい骸になってしまったが、なんというか、わたしたちの生きる社会が作中の「亡霊との一夜」みたいな夢幻になってはならないと思うのである。

 

「いつ、京都にお帰りになられまして?こんな暗い部屋をいくつもお通りになって、よくわたしのところがお分かりになりましたわね...?」

歳月は彼女を変えていなかった。今なお、あの甘い思い出の中にあったように若く美しかった。

..「いや、七生かけてもだ。お前さえいやでなければ、いついつまでも一緒に暮らそうと思って帰ってきたのだ。もう二度と我々を引き離すものはない、今では金も友人もある。貧乏なんか恐れる必要はないのだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

春なのに

コロナである。本来なら花見の人だかりができているはずのこの頃、川の土手の桜並木は閑散としている。私は昨年末、何の気なしにこんなツイートを放ったが、まさか数か月後に世界レベルでウィルスによる大混乱が起きようとは予想していなかった。

私も医療従事者のはしくれ(謙遜などではなく本当に端くれ)であり、たぶん世間のひとよりは感染リスクは高い。

高齢者が死亡しやすい傾向があるとはいえ、私自身の身に万が一が起こらない保証はない。生命を全うできたとしても、世界的な不況が長く続いた場合、即戦争とはならないにせよこれまでの国際秩序は破れるだろう。

人類史の転換はわりと急激に起こる。ローカリズム国家主義への回帰から独裁政権が生まれ、いきなり不逞分子として捕まるかもしれない。(アメリカドラマの「フィアー・ザ・ウォーキングデッド」で、「政府の車に連れていかれた者は帰ってこない」というセリフがあった)

他国がいきなり侵略してきてシベリアに拉致し去られるかもしれない。

コロナが格差解消のガラガラポンになると期待する向きもあるようだが、おそらく真っ先に打撃を受けるのは地盤の弱い中小企業などであり、格差が広まるとかえって社会不安が惹起される。ポエニ戦争後の古代ローマみたいな「内乱の一世紀」にならないだろうか。

一人で考え込んでいると、どんどん考えが妄想的になってくる。

出勤するとき、マスクをしないものは人にあらず、咳・くしゃみをする奴は不穏分子みたいな無言の圧力をひしひしと感じる。世界の空気がここまでいっぺんに変わってしまったのも衝撃だった。人間なんて案外「非常事態だから」と枕詞がつけば、どんな変化でも受け入れてしまうものなのではないか。

私自身はもう十分生きたような気もするが、さすがに子供が独り立ちするまで待ってくれんかいな、とも思う。手洗い、うがい、患者への衛生管理の周知くらいしかできることがないのももどかしい。

幸い欧米に比べて日本が意外に粘っているのも事実なようで、究極の楽観論をいえば、日本が「一人勝ち」をし、失われた30年を帳消しにする躍進をこれから遂げるのかもしれない。中井久夫の説く、「disguised blessing」か。物心ついたころはもうバブルも弾けてたし、なんかシケたムードの日本しか知らない身としては、ぜひそうなって欲しいものである。だいたいオレが医学部行かなきゃならなかったのも、とどのつまりは経済が不調だからなんだよ。そろそろどうにかなってくれ。もうなんだかよくわかんチー。

 

ツイッターも連日だれかが何かに怒っている修羅の世界になりつつある。緊急事態宣言の後、感傷的になり元彼女の携帯に過去の懺悔ポエムを送った男がいた。カトリックの告解か。政府の手ぬるい対応を批判をした直後、鬼気迫る情勢下の東京で一人風俗に直行した野党議員がいた。これがオレのクラスターだ!お後がよろしいようで。こういうとき、一致団結するより先にまずみっともない部分をあらわしてしまうのが人間の悲哀である。歴史の一ページとして、1000年にわたり語り継がれるだろう。

一応医療従事者と名乗っている以上、ウィルスについて変なこと言うと炎上しそうだから、どうでもいいことしか呟いていない。日々の業務とムダな心労で気力がわかない。今年は花見もしなかった。春なのに。

いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 褪(あ)せぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを

「ゴンドラの唄」(大正4年)

100年前にスペイン風邪が猖獗を極めたとき、劇作家の島村抱月が病死し、恋愛関係にあった松井須磨子も後を追って自死した。松井の歌う「ゴンドラの唄」は図らずも人類史的なパンデミックに際した人間の諦念を歌っているようにも思える。このところ、気力の尽きた身としては、夜風呂に入りながらボソボソとこの歌を歌っている。黒澤明の「生きる」かよ。やっぱまだ死にたくないチー