ねずみのすもう

精神科医のねずみ

ナウシカ考

映画館でジブリ作品が上映されているというので、さっそく「風の谷のナウシカ」を観てきた。考えてみたらジブリの作品を映画館で観たことなかったな...。

 

ナウシカはこれまで何度も観た。上映当時(1984年)、わたしはまだ生まれてすらいなかったが、その後繰り返しテレビで放映された。

 

2002年初頭、仲間由紀恵のドラマ「トリック」で、放送時間がかぶっていたことにかこつけて、子どもたちが「何度目だナウシカ」と習字するシーンがネタとして挿入されるほど、金曜ロードショーの定番として抜群の存在感を誇っていた。観るたびにちょっとずつ違った感想が出てくるのがこの作品の味わい深いところである。

 

(ちなみに原作の漫画はほぼ別の作品といっていいほどストーリーが違う。以下はあくまで映画版の話であることをお断りしておく)

 

①ストーリーは複雑なのに何となく観られてしまう

 

たとえばジブリ作品を全く観たことがない人に、ナウシカのあらすじを全部説明するのは意外に難しくないだろうか。まず世界観が超越的すぎる。巨大産業文明が崩壊して1000年、いきなり世界がカビとダンゴムシに蹂躙されているところから始められても、知識ゼロの人は目を白黒させるだけではないか。

 

あと、この時代の世界にどんな国々が割拠していて、それぞれの位置関係や軍事バランスはどうなっているのか。腐海とは、蟲とは何か。登場人物のセリフで断片的にほのめかされるだけで、明確な説明は最後までない。

 

ことの発端はペジテ市が地下から「巨神兵」を掘り起こしたことにあるというが、話のスタートの時点ですでにペジテは滅ぼされ、巨神兵を本国へ運ぼうとしたトルメキアの戦艦は墜落。

 

丁寧にストーリーを追わないと、時系列も各国の思惑もよく分からなくなってくる。それでも観ていて話の展開にあまり引っ掛かりを覚えないのは、独特の清涼感がある画風と、テーマの壮大さ、テンポのよさによるところが大きいと思う。

 

「一見まとまりがないが、なんかすごいこと言ってる風で説得力のある人物」みたいなもので、これこそがジブリの強みなのかもしれない。実際、宮崎監督をはじめ、そういうスタッフが現場を牽引してきたのではないかとも思うが...。

 

ナウシカ、リアリティない説

 

宮崎駿宇治拾遺物語の「虫めづる姫君」と、ギリシャ神話のナウシカーアから構想を得てナウシカを造形したという。16歳という設定である。

 

子どものころ観たときは、「姫ねぇさまぁー」と駆け寄っていく谷の子供目線でナウシカに肯定的な感情を持っていたが、30超えたオッサンになって観ると、いやこんな女子高生いるわけないでしょ...勘弁してよ...。

説明は要るまい。観ていて終始モヤモヤしてしまった。リアルでこんな若い女性がいたら真っ先に警戒する。

 

それは置くとして、「目についた人は脊髄反射的に助ける」という姿勢が王族としてはむしろ失格に思える。対人援助のリソースは有限である。王女の身に何かあったらどうするのかとヒヤヒヤする。

 

トルメキアをはじめ、周辺の軍事国家からの干渉はどう跳ねのけていたのだろうか。地理的に隔絶されていたのだとしても、そういう外部との交流の少ないコミュニティでは近親婚が繰り返されたり、いじめが起こりやすかったり独自の問題を抱えていそうである。そのへんの描写が全くないあたり、「風の谷」にも不自然さを感じてしまった。マルクスの説いた「原始共産制」ってたぶんこんな感じの世界観なのではないか。

 

もちろんそんな感想は織り込み済みで作品は作られているのであり、おそらくわたしの目線が汚れてしまっただけ+宮崎監督の手のひらの上で踊らされているだけなのだが。

 

③トルメキアの圧倒的リアリティ

 

歴史上、たまに軍事的女傑が出ることがある。

日本神話における神功皇后マムルーク朝のシャジャル・アッドゥール、百年戦争ジャンヌ・ダルク、イタリアのカテリーナ・スフォルツァインド大反乱ラクシュミー・バーイなど。

クシャナもその系譜であり、キャラクター造形としてはむしろ典型的である。

 

クシャナが中年男だったらこの物語は成立しなかったはずで、ナウシカとは宿命的なペアリングである。彼女がトルメキア本国の命令に背いてまで、「巨神兵」を用いた新国家建設にこだわったのは、おそらく蟲に腕を食いちぎられたトラウマが深く関わっている。

 

美貌とハイスペックさの取り合わせは一見非現実的なようでいて、肉体に根深いコンプレックスを持っていたり、肉体への執着をそのまま世界観に置き換える点において、きわめて女性的かつリアリティにあふれた人物造形である。それゆえ、やっていることは悪事そのものなはずなのに、なんというか、ナウシカより「安心して見ていられる」という倒錯した状況をもたらしている。

 

あと、今回はトルメキア軍の組織バランスについてやたらと気になった。地上戦闘は強いが、航空戦力は軍事大国の割にかなり弱い。戦艦も図体がでかいだけで、序盤の戦闘では、アスベルの操縦するガンシップ一隻に(コルベット1隻を残して)あっさり全滅させられている。

一見凶悪だが組織としては意外に脆く、こんなんで戦乱の世を生き抜いていけるのか心配になった。辺境派遣軍と本国の関係もあまりよくなさそうで、たぶんトルメキアは軍事的な刷新に乏しい老廃国家になりつつある。

 

「風の谷」よりはるかにリアリティに溢れ、現実の国家に生き写しなのはトルメキア陣営の方である。その中で、軍事国家としての戦略に基づいて世界を救うことを本気で考えていたのはおそらくナウシカではなくクシャナである。この物語のほんとうの主人公はクシャナなのではないか。

 

④ラスト後の世界

 

ラストになんとなく物寂しい余韻が残るのは、久石譲の音楽もあるが、じつはこの物語が厳密にはハッピーエンドではないからだろう。

王蟲の蹂躙は辛うじて免れた「風の谷」だったが、王を失い、300年谷を守ってきた森の生態系すら失ってしまった事実は変わりない。本当に腐海や蟲と共生できるのか。

 

巨神兵を本国へ運べなかったクシャナらにはどんな処分が下されるのか。彼らが処罰に甘んじなかった場合、トルメキア本国は深刻な内乱に突入する可能性も高い。列強のパワーバランスが崩れれば今度こそ本当の大戦争にもなりかねないだろう。

そんな中で、大地の毒を腐海が浄化するまで何千年かかるかわからず、それまで人類は生き延びられるのだろうか。じつは問題はこの先も山積みである。

 

つくづく人間は業の深い生き物である。と同時に、生命とは一瞬の光芒であることを、宮崎監督は僕らに教えてくれる...

とか言ってみたいところだが、ご本人的には、タイプの女性やミリオタ要素を描きまくりたかっただけという説もあったりなかったり

 

ともあれ、私自身が老年くらいになった時点でまた観返してそのときの感想が楽しみではある。

 

⑤ユパ様かっこいい

英伝のメルカッツ提督といい、納谷悟朗氏は最高である。父性を感じる