ねずみのすもう

精神科医のねずみ

余は如何にして精神科医となりし乎

もともと歴史とか英語とか文系科目の方が得意で、高校生の頃もはじめは文系学部に進もうと思っていた。なんとなくだがphaさん(当時まだネット上にいなかったけど)みたいな、学識の深さをオーラとして漂わせながら超然と生きる存在に憧れがあったような気もする。そうなれずとも、とにかく名の知れた大学にさえもぐりこんでしまえば学部など関係なくどうにかなるだろう、という安直な発想があった。しかし、時あたかも就職氷河期。世の大学生たちの就活がきわめて難航しているのを目の当たりにする。

 

あれほど社交上手でコミュ力にすぐれ気丈そうな人々のメンタルがズタボロになってゆく。お勉強以外何一つパッとしないオレには到底こんな試練は耐え難いと直感した。また、文系のアカデミアが想像以上の地獄絵図であることも先輩から聞かされ動揺が走る。

法学部から弁護士を目指そうにも司法試験はこれまた地獄、しかも今後弁護士は数が増えるし待遇は下がることが予想されると聞いてまたドヨーン。そして教育ママゴンのご多分にもれぬ「医学部以外許しません」の縛り。理系科目は「足を引っ張らない」程度の出来でそこまで得意でない自分にとってあまり有利な状況ではなかったが、なんだか医学部受験をしない方が色々めんどくさくなりそうな事態に追い込まれていた。

 

このように色んなことが組み合わさった結果でしかないが、その後付近の某医学部に滑り込めたのは不幸中の幸いであった。合格したときも、やりきった爽快感というより「死なずに済んだ...」という、妙な敗北感に似た気持ちだった。勝ったというより、敵の追撃を「振り切った」というあたりが実感としては正しい。引き合いに出すのもおこがましいが、ガダルカナルとかインパールなどの、地獄の戦線から生きて帰った復員兵たちも同じような感想を抱いていたのかもしれない。

 

医学部に入ってみると、想定内のことながら自分のような半端な動機の「不心得者」は数えるほどしかいなかった。そんなハンパ者の大半は入試の時点で脱落していたはずで、とにかく自分は運がよかったのだろうと思う。在学中はそれなりに楽しかったが、終始居心地の悪さも感じていた。ところで医学部の勉強の大半は「過去問」の反復演習と暗記である。もともと暗記は得意であったため留年もしなかったし試験で苦労した記憶は存外少ない。巷説では医学部は入ってからの勉強が大変なところと認識されているようだが、進級判定は大学によってはけっこう緩い。どちらかと言えば「一学年100名が6年間いっしょ」「きつい運動部に強制参加な風潮」といった、内部の独特な人間関係のほうが辛いのではないかと思う。実際、同級生の何人かは大学に来なくなり、ミュージシャンになった女子一人を除いて今に至るまで消息不明である。将来、大学医局の中でうまく立ち振る舞えなさそうな人物を「入学後に」弾くシステムだとしたらよくできていると思う。わたしなどタイプとしては「医学部不適合」の最たるものだったが、なぜか先輩受けは良かったり、周囲が可愛がってくれたためそこまで悲惨なことにはならなかった。たぶん人外の存在、まさに「ペットのねずみ」として扱われていたのだろう。人間はマウンティングとカーストが大好きだが、そもそも利害が衝突しない「カースト外」の存在には案外やさしいものでございます。何が何だかわけもわからないうちに卒業して研修医になり、専攻を決めて今に至る。

 

こうしてみるといかに自分の人生が「消極的選択」の連続であったかを改めて思い知らされる。「そうしないと生涯いろんな人からネチネチ詰められそう」「かえってめんどくさいことになりそう」「てか下手したら死んじゃう」以外に行動の動機がなかったというのも情けない話である。

中川淳一郎氏が「仕事とは怒られないためにするもの」と喝破しておられたが、まさに「怒られないこと」一点のみに注力した、ネズミのような人生だった。自分の人生を、立志伝みたいなドラマ仕立てで語りたがる人にたまに出会うとどうにも胡散臭さをおぼえてしまうが、もし本当だったら自分には想像もつかない世界で、すごいことだと思う。

 

題名に掲げておいてなんですが、なぜ精神科医になったのかも実はよく分からない。オペ室のモニター音が非音楽的で耐えられなかったとか、ポリクリのときいじめられた内科の指導医の顔が「NHKスペシャル」のノモンハン特集でみた関東軍参謀・Tにそっくりで不気味だったからとか、理由はいろいろ思い浮かぶものの後付けでしかない。「なぜ自分がここにいるのかわからない」と穴倉のなかで首をかしげるつげ義春の「山椒魚」の心地である。その時々の必要に迫られて動いていたらそこに「行き着いた」というのが偽らざる実感だが、案外世の中の人はみんなそんなものかもしれないとも思う。

 

...という話を以前ツイッターに上げたら、意外なほど反響をいただいた。

中には「こんなことネットにあげちゃうアホでも実家に金さえあれば医者になれるww」「pgr」みたいな辛辣なご意見もいただいたが、仰せの通りである。生まれて、すみません。けど見ず知らずの人に対してはできたら丁寧語を使ってほしいな。オタンチン。一つ言えるのは、患者さんたちのことはとても好きです。