ねずみのすもう

精神科医のねずみ

「陰翳礼賛」感想

「...昔の御殿や妓楼などでは、天井を高く、廊下を廣く取り、何十畳敷きと云う大きな部屋を仕切るのが普通であったとすると、その屋内にはいつもこう云う闇が狭霧の如く立ちこめていたのであろう。そしてやんごとない上たちは、その闇の灰汁にどっぷり漬かっていたのであろう。...現代の人は久しく電燈の明りに馴れて、こう云う闇のあったことを忘れているのである。」

谷崎潤一郎「陰翳礼賛」

谷崎潤一郎の有名な「陰翳礼賛」は、1933(昭和8)年に発表された。平たく言うと「闇とか暗がりって、なんかいいよね」「それこそが東洋の美だよね」と手を変え品を変え主張し続ける変わったエッセイである。

 

グローバル化の進んだ今日いまさら「闇の美学」でもあるまいと半分話のタネにするくらいの気持ち(すみません...)で読み始めたが、2-3ページのうちに豊富なボキャブラリーの世界に引き込まれてしまった。さすがはノーベル賞候補作家である。文豪の手にかかると、「闇」が不思議な情緒を帯びた言葉に感じられるものらしい。見る人が見れば「豊かな暗さ」というものが確かにあるのだと思わずにはいられない。谷崎は、文明の進歩とともに闇の味わいが失われつつあることを嘆じつつ筆を進める。

闇と味覚との関係を描いた以下の文章はとくに味わい深い。

 

「...だがその羊羹の色あいも、あれを塗り物の菓子器に入れて、肌の色が辛うじて見分けられる暗がりへ沈めると、ひとしお瞑想的になる。人はあの冷たく滑かなものを口中にふくむ時、あたかも室内の暗黒が一箇の甘い塊になって舌の先で融けるのを感じ、ほんとうはそう旨くない羊羹でも、味に異様な深みが添わるように思う。」

 

甘党ではない私にもちょっと羊羹買ってこようか、という気を起こさせる文章である。たしかに古い日本の文化というのは闇や暗がりを逆手に取ってほのかな美しさを醸し出しているところがある。寺や神社も、鬱蒼とした木々があってこそ厳かな感じが保たれる。山田洋二監督の「たそがれ清兵衛」でも、主人公の清兵衛(真田広之)が家老屋敷に呼ばれ上意討ちを命じられる、あの夜のシーンがないと映画全体が引き立たない。

全部が真っ暗闇では何もできないが、ある程度の闇深さがないと芸術も人間も奥行きが出ないということなのだろう。私もツイッターでチーチー言ってるばかりでなく、豊かな陰影を身に着けたいと思った次第である。

 

ところでいまでも猟奇的な事件について「闇が深い」などという表現を使ったりするが、同じ「闇」でも谷崎が論じるような「陰影」に連なる情緒はなく、なんだかチープな感じがしてしまうのは不思議である。せいぜい「うぜー」とか「キモーい」に毛が生えたくらいの意味しか持たないように思われるのはなぜか。

「陰翳礼賛」からさらに86年を経た今日、世の中が表向き明るくなりすぎて、闇とか暗がりというものはいよいよ単なるマイナスの記号でしかなくなってしまったのかもしれない。ここまで谷崎を持ち上げといてなんですけど、実際の生活だと暗いのってやっぱ嫌ですよね。私もいまだに夜トイレ行くときとか、子どものころ聞いた怖い話を思い出して行こうか行くまいか20分くらい躊躇しますし...。

しかし、谷崎の論じるごとく暗がりがあってこそ際立つ美しさもあるのだろう。暗さをチープなもの、マイナスなものとして排除した結果残る「明るさ」もまたチープなものにならざるを得ないのではないか。脱線するようだが女性にしても、ちょっと暗いところがある人の方が魅力的に見えたりします。私が中島みゆきを好きになったのは4年ほど前、phaさんのブログを読んだからだが、同じころたまたま動画で見つけたデビュー当時、ナイトドレスで「アザミ嬢のララバイ」を弾き語る暗い映像がなんかカッコよかったからでもある。

 

かつて女性は、夜の闇をまさにナイトガウンのように纏うことで自身の魅力を際立たせていたのではないか、というのが谷崎の仮説でもある。その文章を以下に引用して締めとしたい。

今の感覚で読むと女性を妖怪変化の類に見立ててdisっているように誤読されそうだが、これが谷崎流の女性賛美なのである。日本版の「夜の讃歌」とでもいうべきか。けだし暗さもキモさも魅力とは紙一重である。魔法医先生におかれましても、CAや女子アナと並行して、まずは豊かな闇の世界における女性の隠微な魅力に目を見開いてはいかがだろうか。

 

 

「...われわれの先祖は、明るい大地の上下四方を仕切ってまず陰翳の世界を作り、その闇の奥に女人を籠らせて、それをこの世で一番色の白い人間と思い込んでいたのであろう。...魑魅とか妖怪変化とかの跳躍するのはけだしこう云う闇であろうが、その中に深い帳を垂れ、屏風や襖を幾重にも囲って住んでいた女と云うのも、やはりその魑魅の眷属ではなかったか。闇は定めしその女達を十重二十重に取り巻いて、襟や、袖口や、裾の合わせ目や、至るところの空隙を填めていたであろう。いや事に依ると、逆に彼女達の体から、その歯を染めた口の中や黒髪の先から、土蜘蛛の吐く蜘蛛の糸の如く吐き出されていたのかも知れない。」