ねずみのすもう

精神科医のねずみ

保護室

精神科病院に入院するとき、興奮が強かったり病状が不安定なとき「刺激を避け」「休息してもらう」ために入るのが保護室という。一般床とは別のがっちりした個室である。万が一壁を叩いても衝撃は吸収され事故やケガを防ぎ、ある程度の防音効果で聴覚が余計に刺激されない仕組みにもなっている。何十年も昔、精神科病院がおどろおどろしいイメージで語られていた時代は薄暗く刑務所の保護房と見まがうような陰惨なものも多かったようだが、いまはどこの病院も建て替えが進んで保護室はクリーンで明るい造りになっている。危険物の持ち込みはできないため、どうしても殺風景ではあるが。

 

さて、わたしがはじめて精神科病院に入ったのは医学部1年の実習のときのこと。

重症例ばかり集められた某所の精神科救急病院で、保護室で治療中の患者とドア越しに接触することになった。これが噂にきく「保護室」との人生初体面だった。「あらまあ可愛いボク、こっちおいでよ悪さしないから」と大声で呼びかけるアラフォーくらいの女性がいた。とにかく興奮が強く言っていることはかなり滅裂で、正直ちょっと怖かったが、人間だれしも脳病とはこんな感じになるのだろうと思った。鴎外の「舞姫」で、「癲狂院」に送られたエリスもこんな感じだったのかなと思った。(なお付け加えておくと、こうした激しい状態は一部の困難例を除き投薬によってわりとすぐ改善する。あくまで一過性のものであることが多い)

 

ショックだったのか、同じ班の女子は昼食をとっている際に泣き出してしまった。ただし、この泣き出し方にはちょっと自己憐憫も含めた「あざとさ」があったようにも思う。もう一人の慰め役の女子が「人間てなんだろうねえ」としみじみ呟いていた。こういう若干19歳にしてみんなのお母さん的ポジな女子というのは必ずいるものである。声がちびまるこちゃんに似ていた。同じ班でもう一人の男子学生は、「ああ疲れた。はやく帰りたいよ」といかにも興味がなさそうにしていた。わたし自身はといえば覚めたもので、疾患それ自体についてはこういう病気があって治療法もあるのだな、としか思わず、それにしても精神科病院という環境が部外者である我々医学生に与えた心理的影響や、個々の反応の違いが興味深かった。精神科病院というものには、精神の極北をみた瞬間の防衛的態度、意地悪く言えばその人が人生の折節に見せる「居直り」みたいなものを現出させるなにかがあるようだ。

 

その後、解散となった後は帰宅とはならず、わたしは医学部運動部のハードな夜練があった。いつも通りというか、いつになく先輩にドヤされた気がする。あそこには病に苦しんで、一時なりとはいえ世間から隔離されている人々がいる一方、外部の日常は何事もなかったかのように進むのだな、というのが新鮮な驚きだった。まったく交錯することのない、互いに存在を想像もしない生活がこれだけの至近距離に数多存在するというのは、精神病などより数倍グロテスクなことではないだろうかとも思った。

 

精神科医になってそろそろ10年弱が経過したが、教科書的な知識や治療経験は積めたものの、なぜこのような病があり、何の必然性があって「患者」と「患者でない我々」がいるのかはいまだによく分からない。両者の境界が思っていたより曖昧なことがより事を複雑にする。保護室には身元不明の浮浪者から、元大学教授まで様々なひとが入室する。「精神科医は患者と区別がつかない者がよくいる」という俗説というか、笑い話みたいなものもあるが、ふと気づくと病衣を着せられて保護室に入れられてるわが身を想像するのは案外容易い。